藤沢周平 『よろずや平四郎活人剣(上)』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 文春文庫の新装版。藤沢周平作品は大半を読んでいるはずなのに、新装版とか改版とかで読みやすい文庫本が出ると、ついつい手にしてしまう。この作品も再読であるが、ディティールの殆んどは忘れてしまっていて、とても面白く読めた。良い作品は何度読んでもその度に面白いということなのだろう。

 平四郎は旗本・神名家の冷や飯食いである。剣の腕には自信があり、友人の明石、北見と共同で剣術道場を開くつもりで家を出たが、明石のネコババでその夢も絶たれ、よろずの相談事を引受けることで生業を立てている。当初はとても生活できないと思われたが、よくしたもので、世間には悩み事を抱えた人も数多くいて、どうにか食べてはゆけるだけの相談ごとにはありついている。

 という設定で、平四郎が毎回異なる相談を引き受け解決してゆく連作形式の作品である。夫婦喧嘩の仲裁から、浮気の後始末、はては強請りの相手をギャフンと言わせる荒っぽい解決まで、バラエティ仁富んだストーリーが展開する。それだけでも面白いのに、バックの通奏低音として、老中・堀田正篤の意を受けた兄・神名監物と、天保の改革を進める同じく老中・水野忠邦を補佐する鳥居耀蔵との暗闘が展開し、平四郎は兄の命令でお金にならない仕事に駆り出されるのだが、これが全編に緊張感を添えている。ついでに言うなら、平四郎の初恋の人というべき早苗のことも折に触れて挿入され、これも気になることの一つだ。というわけで、娯楽読み物としてのお膳立ては万全であり、これで面白くないはずがないのである。

 武家の平四郎が庶民の暮らしの中へ入り込んで動き回るという構図で、江戸の町並みや庶民の暮らしぶりが鮮やかな臨場感で描かれるのは、さすがに藤沢周平の力量であろう。節度を保つこの著者らしくお色気場面こそないけれど、娯楽に徹した時代小説の楽しさを満喫できる作品である。

  2006年5月29日 読了