藤沢周平 『彫師伊之助捕物覚え 漆黒の霧の中で』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 伊之助シリーズ3冊がこれで全て改刷され、文字が大きくなって読みやすくなった。還暦過ぎの本好きにはありがたいことで、早速購入してしまった。
 もと腕利きの岡っ引きで、いまは版木彫り職人として暮らしている伊之助が、定町回り同心の石塚宗平の依頼を断り切れずに、殺人事件の探索に乗り出す。他の2作と同様、伊之助は心ならずも探索に手を染めるのだが、その実、いまも岡っ引きの血は蠢いているのだ。
 版木彫りの親方に怒鳴られ、石塚には尻を叩かれ、不自由な時間をやりくりしながら伊之助は地道に歩き回って捜査を続ける。殺された男の足取りを追って、呉服屋の駿河屋、海竜寺と突き止め、大奥の女性たちを巻き込んだ不自然なお金の動きにまで辿り着く。その間には、第2、第3の殺人も行われ、伊之助自身も襲撃される。大江戸ハードボイルドと銘打つだけあって、サスペンスあふれる展開である。
 藤沢作品の、メリハリの効いた文体により支えられた全編にわたる緊張感がたまらない。それに、読者は伊之助の得た情報だけしか知らされないので、伊之助と一体になって推理できる。こうした捕物を含む推理物は、やはり一人称で進行するのがフェアだと思うが、さすがにこの作品もそこはしっかり押さえてあるのだ。
 最後、大奥の女たちに配慮して、つまり余分な怪我人を出さないため、商人たちの検挙を控えて終るあたりも、ペーソスに溢れ、余韻の残るものだった。
 2005年9月4日 読了