夏目漱石 『草枕』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 新潮文庫の改刷版。文字が大きくなったし、新かなづかいなのでとても読みやすい。旧かなを否定する気は毛頭ないし、いまも旧かなで執筆する丸谷才一作品なども読んだりするのだが、戦後の教育を受けた身としては、どうしても新かなのほうがスラスラと読める。

 最近の新潮文庫は古典の改刷に意欲的で、漱石作品だけでも、『我輩は猫である』『坊っちゃん』『門』『こころ』『坑夫』『二百十日・野分』『文鳥・夢十夜』と、読みやすくなっている。再読、三読を問わず、書店で改刷版に気付くたびに購入して、目を通しているのだ。自分の小説好きの原点が漱石だと思うところがあるので、何度でも読み返したい。

 さて、この『草枕』、「新小説」への発表は1906年で、作品が生まれてからちょうど100年である。1世紀を経ても読み継がれているのは、そのことだけでも素晴らしい。冒頭の「山路を登りながら、こう考えた。」以下があまりに有名で、その部分を知っているだけで読んだ気分になってしまっていたようだ。全体を通して読むのはどうやら初めてで、新鮮な読書体験であった。

 画家が俗世間から逃れ、画題を求めて山奥の旅館に逗留する。ストーリーとしてはそれだけである。旅館の出戻りの美しい娘と話したり、その父親に茶の接待を受けたり、お寺の和尚と問答をしたりと、あくまで紀行的な流れで、娘と深入りになるわけでもない。暇にまかせていろいろ考えて、芸術論や人生論が展開する地の文章は相当に難解である。幸い豊富な注釈が付いていて、参照しながらの進行であり、そうでなければチンプンカンプンになってしまう。英文学から漢籍、仏典と引用は多彩であるし、漢詩や俳句を興にまかせて作ったりするのだ。つまり、画家となってはいるが、この小説の語り手「余」は漱石先生そのものなのである。

 対して、会話の部分は実に面白い。漱石のユーモア感覚が生かされている。地の文と会話文と、その対照がこの作品の魅力ではないかと思った。

 筋を追う必要のない小説で、どこを開いて読んでも楽しめる作品であるとも言えそうである。

  2006年1月20日 読了