娘の病気がわかったときにやってよかったと思う事。 | 満ち満ちる

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人生の目的は、喜びだ!

重めのタイトルですが。

 

 

私の娘のことを書きたいと思います。

 

娘が12歳になってまもなく、

 

家での様子がちょっと変だな。元気がないなと思っていた矢先、

 

頭痛と微熱で学校を早退してきたのです。

 

夕方、担任の先生とお電話した際に、

最近提出物が出せていないのと、字が小さいのが気になりますとお話してくださったのですが

思春期だし、自分の意見を言うのに自信がなかったりするのかな、とか

生理がそろそろなのかな。なんて思って

 

数日様子を見ていました。

 

それでも良くならない様子だったので

 

念のためにと病院に行ったその日から容態が急変。

 

食べても飲んでも吐いてしまうようになったため

CT検査の結果、

 

脳にゴルフボール大の腫瘍があることがわかりました。

 

吐き気や頭痛の症状はひどくなり、

すぐにでも入院したほうがいい状況だったのですが、

 

コロナ過だったので、

 

病院の規則で、入院の付き添いは一人、

荷物の受け渡しも看護師さんがしてくれて

中の人とは一切会えないとのことでした。

 

まさか、の病気。

 

そして、受け入れなければならない、環境の変化。

 

このときの衝撃は、相当なものでした。

 

 

まだ授乳中の妹がいたので、

入院の付き添いには主人が入り、

私は他の弟妹のこと、役所の手続きや学校との連絡のことなどを担当することになりました。

 

 

一度家に帰り、娘と主人の入院準備をしながら、

 

主人とお互いに、お願いね。よろしくね。と

 

ハグしあいました。

 

 

ふたたび病院に送っていったとき、

夫に支えてもらいながらなんとか歩く娘の後姿を見送りながら、

 

次にいつ会えるのか、

その時はどんな姿なのだろうか。

 

考えるとやりきれなくて。

 

 

2人がドアの向こうに入っていったあと、私1人になった車の車内で、

初めて声を上げて泣きました。

 

 

それくらい、

 

なにもかもが急ピッチだったし

 

娘の前では絶対に泣いちゃだめだと思っていました。

 

 

 

家に帰り、会えなくても、なにか娘のためにできることをやりたい、と思ったときに

以前、ネットで見た記事を思い出したのです。

 

入院中の患者さんを2つのグループに分け、

片方のグループの人の名前をその人たちと面識のない人たちに伝え、

毎日祈ってもらったそうです。

すると、

祈ってもらったグループの回復の経過が良かったというような記事でした。

 

 

 

私は、自分が良い親ではなかったことを悔やみ、

罪悪感に苛まれ、

娘がこれからどうなるのかという不安に胸が押しつぶされそうになりながら、

 

後悔も、謝罪も、先を不安に思うことも、いつでもできる。

 

と、

 

気持ちをなんとか切り替えて、

 

たった数分でしたが、祈りの時間だけは、今、に集中し、

 

今、生きている娘を思う気持ちに焦点をあてて深呼吸していきました。

 

 

あなたが、ただいてくれるだけでいい。

一緒に笑って過ごせたら、私がどれだけ幸せか。

 

あなたがいてくれて、私は本当に幸せだよ。

あなたのことを、心から、愛してる。

 

愛してる。

 

愛してる。

 

私はあなたに出会えて、本当にうれしいよ。

 

今までちゃんと伝えられなくてごめんなさい。

これからはもっともっといい関係になって、

楽しい事を一緒にいっぱいしよう。

いきたい場所に一緒にいこう。

 

横にあなたの笑顔があれば、私はとっても嬉しいんだよ。

 

そのままのあなたが、大切で、

そのままのあなたが、大好きだよ。

 

あなたがいてくれて、私はほんとうに嬉しいんだよ。

 

そしてね、

 

あなたも、私のことを愛していてくれたことを、

気が付くのが遅くなってごめんなさい。

 

あなたから、たくさんの愛をもらっていたのに

大切にしてこなくてごめんなさい。

 

私は、変わります。

これからは、あなたからの愛も、しっかりと受け止めます。

 

これまで本当に、ありがとう。

 

出会ってくれて、ありがとう。

 

一緒にいてくれて、ありがとう。

 

大きな愛で包んでくれていて、ありがとう。

 

ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

 

 

 

 

入院して3日後、

当初は詳しいMRI検査をする予定だったのですが、

 

朝から担当医師さんに、この病院では検査はせず、治療のために専門の病院に転院することを勧められました。

 

一瞬、そんなにも難しい病気なのか、と絶望しかけながら、

選んだ転院。

 

でも調べてみると、

その病院では両親のみ1日15分間の面会が許可されていたんです!

 

娘に会える!!それだけでどれほど気持ちが救われるか!

 

また、

 

夕方、救急車で運ばれた転院先で、

それまでひどい頭痛で起き上がれず、点滴も効かず、嘔吐を繰り返していたのが、

起き上がって笑えるようになり、水分をとれるようになったと主人からLINEが届きました。

 

さらに、

 

4日後に、私が面会に行った時には

ベッドにあぐらをかいてカレーライスを食べられるようになっていて驚きました。

 

この4日の間、点滴のお薬を変えただけで、腫瘍への治療はなにも始まっていないのに

腫瘍マーカーの値がわずかに減少していたそうです。(これは後に出た検査結果からわかったのですが)

 

 

絶望感の真っただ中にいた数日前から比べると、

奇跡に思えるようなことが起こっていました。

 

 

私は、面会で毎日娘に会えるようになってからも、

 

家では、引き続き、愛を送ることを、やり続けました。

 

不思議と、やればやるほど、私自身の周りへの感謝や、

他の家族への愛情も深まっている感覚がありました。

 

✨✨

 

 

その後、

 

娘は転院先の病院にて半年間の治療をやりきって

今は寛解して自宅に帰り、

学校にも復学できています。

 

病気の寛解は間違いなく娘の頑張り。娘のチカラです。

 

信頼できる病院、医師の先生方、

看護師さんや保育士さん、

学校関係者の方々、お友達・・・

 

本当に、恵まれたサポートのおかげです。

 

 

そして、愛を送ること、は、

そんな大切な娘のために、自分にできることは全部やろう!と決めた私が

やったことの一つにすぎませんが

 

なんたって無料(タダ)だし、

誰にも迷惑はかけないし、

やってみると幸せな気持ちで満たされるし・・・

 

あの時を思い返して、

私自身のためにもあの祈りの時間はよかったなぁと思えるので

 

こちらでシェアしようと思いました。

 

 

 

もし

 

これを読んでくださった人が、

ご自身の大切な人のために、何かできることはないか、と思った時に

 

そういえばこんなエピソードも読んだことあったなぁと思い出していただけたら

嬉しいです。

 

 

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