いよいよ明日封切りですね。

『オリオン座からの招待状』

しつこいようですが、わたしの大好きな浅田次郎大先生の珠玉の短編です。

短編であることはわかっていたのですが、どの本に載っていたのかがわからなかったので探してみたところ、

『鉄道員(ぽっぽや)』に収録されていました。

(浅田先生はこの作品で第117回直木賞を受賞されています。)

内容もうろ覚えだったので読み直してみたところ・・・・・・

泣きました。

まだうるうるしてます。

以前読んだときってこんなに泣いたかなー???

というのも、この『鉄道員』、名作だらけなんですよーーー!!!

なのであれもこれも泣きながら読んだので、どれで泣いたか思い出せないんです。

ラブ・レターうらぼんえは絶対に泣きました。

「吾郎さん吾郎さん吾郎さん吾郎さん・・・・・・」

わたしはこのフレーズを思い出しただけで泣けてきます。そんな人、他にもいると思います。たぶん。

収録作品は、

「鉄道員」

「ラブ・レター」

「悪魔」

「角筈にて」

「伽羅」

「うらぼんえ」

「ろくでなしのサンタ」

「オリオン座からの招待状」

の8編。

このうち「鉄道員」は、高倉健さん主演で映画化され、

「ラブ・レター」は中井貴一さん主演で映画化、西田敏行さんでドラマ化、

「角筈」にては西田敏行さんでドラマ化されてます。

なんと「ラブ・レター」は韓国でも『白蘭』というタイトルで、チェ・ミンシクさん主演で映画化されているのです。

なんかすごい一冊なんですよーーー!!!

『あとがきにかえて 奇跡の一巻』という浅田先生ご本人の文章によれば、

この短編集は、長編小説『蒼穹の昴』を脱稿した後、長編小説に携わることで忘れていた短編的な鋭利な発想を鍛え直すために書かれたということなんですが・・・

練習ですか? これ・・・ ∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

40代前半の作品ですが、10代のころと少しも変わらない小説への情熱。

ということに先生自身も驚いておられるみたいです。

さまざまな小説の方法を試みた一冊、なのだそうです。

そのなかで『オリオン座からの招待状』は、先生自身一番自分らしいと言っておられる一編です。

手に合った小説。十八番。

「たとえば見知らぬ外国人に小説の作風を訊ねられたなら、私はたぶん名刺がわりに、この短編を差し出すだろう。」(『鉄道員』浅田次郎著 奇跡の一巻より)

とまで言っておられる作品です。

そんな小説がどんなふうに映画化されるのか・・・

ものすごく楽しみです。

主演の宮沢りえちゃん。

そして加瀬亮くん。テレビで予告を見ました。なんだかいい感じでしたが・・・

どうなるんでしょうか?

ほとんど関係ないけど、『椿山課長の7日間』の伊東美咲ちゃんはよかったですね。

いい味出してました。

さらに映画とは関係ないですが、

『ろくでなしのサンタ』の主人公、柏木三太は知る人が読めば噴き出してしまうほど、浅田先生そのものだそうです。

さらにさらに関係ないことまで書いてしまいそうなので・・・

とりあえず今日はこのへんで。

どっちにしても楽しみです。

ニコニコ ニコニコ ニコニコ

浅田 次郎
鉄道員(ぽっぽや) (集英社文庫)


1890年10月1日、ヨセミテ国立公園発足。

ジョン・ミューアとその仲間たちの悲願は達成されました。

でもそれは、原生林保護の戦いの始まりにすぎなかったようです。

昨日に引き続き、加藤則芳さんの本です。

『森の聖者 自然保護の父 ジョン・ミューア』

昨日のご紹介は加藤さんが実際にジョン・ミューア・トレイルを踏破した記録でしたが、

『森の聖者』はジョン・ミューアの伝記です。

スコットランドの港町ダンバーで生まれたジョン・ミューアは、11歳のとき家族とともにアメリカに渡ります。

そして落ち着いた先がウィスコンシン州のファウンテン・レイク。

未開拓のウィルダネス

彼らはそこに農場を作るべく移民してきたのでした。

少年ジョンも働き手の一人として開墾に従事しましたが、原野の魅力に取り付かれた少年にとっては、それくらいの労働はたいしたことではなかったようです。

ジョンは本を読むことも好きでした。

が、厳しい父親は読書のために薪を使うことを許しませんでした。

ウィスコンシンの冬は寒く、ジョンは何枚も服を重ねて寒さをしのぎながら読書にふけったといいます。

少しでも時間を有効につかいたいジョンは夜中1時に起きて読書するのですが、昼の労働で疲れていて起きられないこともありました。

でも彼はあきらめませんでした。

なんと彼は、時間になると徐々に起き上がっていくベッドというものを発明しました。

寝ている人間もついには立ち上がらざるをえなくなってしまうというベッドです。

その他にも、倉庫の中のガラクタを使って、身体を温める装置だとか、様々なものを発明したといいます。

やがて彼はウィスコンシン大学に入学しますが、思うところあって2年半で大学を辞めます。

後に彼はこう書いています。

「わたしはただ、第1の大学から第2の大学に移っただけなのです。ウィスコンシン大学からウィルダネス大学へと・・・」

当時、彼を取り巻く世界は、激しく動揺していました。

1860年、奴隷制度廃止を掲げるリンカーンが大統領に当選。反対派の南部諸州は連邦政府から分離独立し独自の大統領をたてました。

そして南北戦争の勃発。

彼はそこから逃れるように旅に出たのでした。

やみがたい自然科学への情熱を胸に秘めて・・・

やがてジョン・ミューアはシエラネバダへとたどり着きます。

そこから、長い時間をかけて、彼は原生林を踏破し、独自の思想を形作っていくことになります。

知ること、語ることを経て、守るという方向に走り出すわけです。

そして1890年、ヨセミテを国立公園とすることに成功するのですが、土地を活用したい資本家たちとの攻防はさらに続きます。

1891年にはミューアの支持者であった内務長官ジョン・ノーブルによって作成された「森林保護法」が制定されましたが、この法律による管理内容は、ミューアたちの考える自然の完全保護という理念からは遠いものでした。

ウィルダネスを守りたい。

世論の高まりもあり、1892年5月、自然保護団体『シエラクラブ』が発足します。

その夜、クラブ設立を家族や親しい友人とともに祝った席でのミューアは、生涯でもっとも喜びに満ちあふれ、陽気で幸せそうな顔をしていたそうです。

ジョン・ミューア54歳のことでした。

彼ら「シエラクラブ」はその後も開拓派との戦いを続けました。

自然保護の父ジョン・ミューア。

シエラネバダの原生林は、今なお美しくかつての姿をとどめています。

ジョン・ミューアとそれに続く『シエラクラブ』のウィルダネスを愛してやまない人々の努力によって。


加藤 則芳
森の聖者―自然保護の父ジョン・ミューア


『ジョン・ミューア・トレイルを行く  バックパッキング340キロ』

加藤 則芳 著

カリフォルニア、シエラネバダ山脈。

セコイア国立公園の東端に位置するマウント・ホイットニー(標高4418m)は、アラスカを除くアメリカ合衆国最高峰の山である。

ジョン・ミューア・トレイルはこのマウント・ホイットニーからヨセミテ渓谷を結ぶ、340キロに及ぶ山岳トレイルだ。

作者の加藤則芳氏がこのトレイルを踏破したのは、1995年8月のことである。

この様子はNHKのドキュメンタリー番組として放映された。

偶然、わたしはこの番組を見ていた。

テレビを見たのが先か、本を読んだのが先かはもう覚えていない。

たぶん、そう前後してはいないと思う。

ひょんなことから山に登り始めていたわたしは、ジョン・ミューア・トレイルにあこがれた。

それは美しい映像だった。

ウィルダネスを貫く一本のトレイル。

空を映す限りなく澄んだ湖。雪を頂く山。

たぶん本を見つけたのが後だったと思う。

本屋の山岳書籍のコーナーで偶然それを見つけて、

「あ、こんな本が出てたんだ」

と思った記憶がある。

加藤氏は一度、全行程踏破に失敗している。

足を痛めてリタイアしたそうだ。

リベンジを期していたところにNHKからの話しが舞い込んできた。

スタッフは5人。

が、最初は国立公園側から撮影の許可が下りずに交渉に手間取ったらしい。

もっともスタッフを伴ったとはいえ、加藤氏は当初の計画通り、装備も行程も単独行という形を貫いた。

この本は3章に分かれている。

1章が最初のチャレンジと痛恨のリタイア。

2章がNHKの取材陣同行の、再チャレンジ。

3章がジョン・ミューア・トレイルを踏破したい人のための入門書という構成になっている。

歩き方は様々である。

このトレイルはエスケープルート(?)も整っていて、途中から入ることもできるし、物資の補給もできる。全340キロを何回かに分けて踏破する人もいるという。

ヨーロッパアルプスやアラスカのマッキンリーは日本でも知名度が高いが、

カリフォルニアの山は意外に日本人にはなじみがない。

海外登山がわりと普通に行われている現在であるが、1995年当時、ジョン・ミューア・トレイルに関する情報は日本ではほとんど手に入れることができなかったという。

今はどうなのかわからないが、この本には行程距離をはじめとして、情報の仕入れ方、交通、宿泊のさいの問い合わせ先などさまざまな情報が載っている。

ジョン・ミューア・トレイルに興味のある方、行ってみたいという方にはとても便利な本であり、

また読み物としてもおもしろいと思う。


加藤 則芳
ジョン・ミューア・トレイルを行く―バックパッキング340キロ