分 歩 部 武 撫 無 悔 蕪 舞 葡 憮 勝負
フの始念は「自由に動き和す」
奥にある始念は、「予期せぬこと、思いがけないことが起こる」
分は分ける ワと読み、わける、わかれる時に使われる
ブと読む時は、分が悪い、分がいい
きちんと分けられるのではなく、どちらかに傾くという傾向を表すときに使われる
ブンと読む時は、分解 分割 部分
分けて出されること
「ン」の始念は出るとか、出てくると言う始念なので、分け出る、分かれて出されるものがあるときに使われる
一分(いっぷん)二分(にふん)三分(さんぷん)四分(ふん)5分(ふん)
六分(ぷん)七分(ふん)八分(ふん)9分(ふん)十分(ぷん)
時間を読む時は、ふんと、ぷんが使い分けられている
この使い分けられ方にも理由があるようです
「プ」の始念はプリンのような不安定なもの
形にはなっているけど、揺れやすいもの、崩れやすいもの
これが、「プ」の始念です
不安定な時間は、1,3,6,10のこの4つが不安定な数だということになりそうです
ふんと読む数字は、「フ」の始念の、予期せぬことが起こる数のようです
喜びに向かうか、肥やしに向かうか
喜びに向かうというのは、「フ」の次の「ミ」の喜びに向かうこと
肥やしに向かうというのは、ひとつ前の「ヒ」に戻るということです
肥やしの肥へ戻るということですが、「フ」から出たもの「フン」は、「ミ」か「ヒ」へ向かうことになると思います
「1,3,6,10」がなぜ不安定なのか
数の「1」はカタカムナでは、彼と妃のことでもありますが、一人では不安定ということだと考えればそのように思います
3数が不安定なのは、一人がはぶかれやすいからになると思います
六人の時が不安定なのはなぜか
「1,3,6,10」はカタカムナでは「ヒ、ミ、ム、ト」になります
「ヒ、ミ、ム、ト」の始念は、ヒは息吹き(信じる、愛する、委ねる、自由)、ミは弥栄の喜び、ムは睦び、トは透すことになりますが、この四つの始念は、形になるけど、揺れやすく、無くなり易いもの
そして、何度でも求めることができるものであるから、安定する数字ではないということになると思います
「ぷん」と読むときにも、カタカムナ的には、きちんとした意味があるということになります
ブと読む時の始念はまだ分かることは出来ませんが、「フ」の始念は、自由に動き、和す
そして、予期せぬことが起こるという複雑な始念です
ブと読むということは、「フ」の始念が、もう一度繰り返されるということですが、「フ」の始念がもう一度繰り返されたときに、「ブ」と読む字のように変化するということになると思うのですが、もともとの「フ」の始念が複雑なものなので、「ブ」と読む字は、さらに複雑な考えが浮かんでくるものになると思います
このように考えて、もう一度、分を考えると、分を「ブ」と読む時は、どちらかに傾くかを言葉にする時に使っているので、一度どちらかに傾いているのを見て、そして、どちらに傾いているかを判断しているということなので、一度、自由に動く、どちらに傾くかは予期せぬこと、または思いがけないことも起こる
そのことを知ることが始めの「フ」で、知った後にもう一度「フ」の始念の動きを行おうとする
その時の判断が、「ブ」の始念かもしれません
まだはっきりとはつかめていませんが、他の字を同じような考えで解いてみます
解いていくうちに、はっきりと気付けるように思います