太宰家全景(南面から撮影 右端が長屋門で設計事務所)
自宅長屋門(ながやもん)で、
建築設計事務所を営んでいる一級建築士
古民家建築の専門家 與那原浩です。
私が住んでいる太宰家は、主屋(おもや)と
蔵が、江戸後期の文化・文政時代の建築
と言われています。
太宰家6代目の時に、庄屋の株を買って、
この地域の庄屋となりました。
太宰家は妻の実家で、現在の当主は義母、
11代目にあたります。
太宰家の建築的特徴は、表裏並行に三室
づつ並ぶ藩政時代の典型的な豪農
(ごうのう)の間取りを持っているという
ことです。部分的には土間に沿って、
役人座(やくにんざ)と呼ばれる記帳する
間、御用場(ごようば)があります。
ここは、年貢などの記帳・年貢検見の役人の
座った場所と言われています。前の間と居間
は一室として寄合(よりあい)の間として
使用され、座敷・控えの間はこの家の表向き
の部屋とされています。
なお、南面の離れは、昭和初期に増築された
ものです。
―犬伏武彦著 【民家ロマンチック街道―伊予路】引用―
私が、リフォームして事務所として使用して
いるのは、長屋門の中にある男衆部屋
(おとこしべや)にあたります。
男性の使用人の部屋を昔でいう門番みたい
な役割にしていたところが、一石二鳥の
役割を持たせていて、とても感心しています。
長屋門をリフォームした設計事務所
その部屋を事務所仕様にリフォームして
使っています。家の敷地内にありながら、
居住スペースとはちょっと距離があり、
オンオフが出来る環境です。
また、事務所はちょうどいい広さで、
とても集中して仕事ができ、来客の様子も
すぐ分かるので、大変気に入っています。
今日も最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。
【建築ワード説明】
長屋門(ながやもん)
武家屋敷や裕福な農家にもみられた門の
形式で、両側または片側が長屋となって
おり、そこに家臣や下男を住まわせた。
文化・文政時代(ぶんか・ぶんせいじだい)
徳川11代将軍 家斉治下の文化・文政年間
(1804~1830年)を中心とした平穏とした
状態の時代。
豪農(ごうのう)
多くの土地・財産を持ち、その地方で勢力の
ある農家のこと。
寄合(よりあい)
ものごとを協議するために会合すること。