米子神サイダー(ヨナゴッドサイダー)
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再会パーティー

寒くなってきましたね。


助っ人の皆様、移管業務ご苦労様でした。


全員戻ってきたら、再会パーティーでもしましょう。(・∀・)

業務移管

米子サイダーのアタガイです。

米子での最後の週末を迎えました。米子サイダー7名のうち、3名が本日、1名(自分)は来週の水曜日、3名は来週の金曜日に帰京する予定です。


この度、7名が米子に赴任することになったのはコールセンター業務の移管によるものです。業務の効率化を理由に計画され、現在実行されています。


今から5~6年前、「聖域なき構造改革」「官から民へ」といううねりが強い時代でした。自分は当時、某私立大学で歴史学と同時に博物館学芸員課程の勉強をしていました。その授業で度々「指定管理者」という単語が登場したことを思い出します。「指定管理者」とは、本来公営施設の運営業務を委託された民間企業や団体を指します。当時、授業を担当された先生は指定管理者制度に否定的な立場を取られていました。

「採算性だけで成否がはかられるのではないか」

「公共団体が所有するものを民間で勝手に動かせるか」

などの理由です。また、個人レベルでは公務員でもある学芸員が「学芸員と公務員のどちらの立場を選ぶか」という選択を迫られた人もいるようです。


民間企業たるこの会社でも業務の効率化を見越して業務移管がされています。

①書類の不備チェック・登録業務:商材ごとに異なりますが、複数の業者が移管先になっています。

②コールセンター:顧客対応か販売店・代理店対応かで移管先が異なります。

※前者は門前サイダー、後者は米子サイダーの出向先です。


僕自身はかつて①の部署(以下登録部署)で電話・メール対応に主に当たっていました。「重複業務は統合せよ」という大方針の下、対応業務の一部が現在の部署に移されました。今まで登録部署で取っていた電話番号が現在の部署に統合されたため、この文面では以降「回線統合」と呼びます。回線統合直後に不備チェック業務が登録部署から別業者に移りましたが、「データ反映が雑」「処理自体が進んでいない」などの問題が噴出し、その対応に毎日のように当たっていました。本来登録部署で受けるべき問い合わせがコールセンターに殺到し、登録部署ではない我々にとっては「対応しようがない」状態が常に続いていました。我々に問い合わせがあっても結局「登録部署にメールせよ」との対応しかできないこと、登録部署自身に問い合わせが殺到して業務負荷がかえって増え、回線統合の効果を疑問視する声もありました。


今、巷では事業仕分けが進んでいます。複数の団体で同じ業務を行っているように思われたところが仕分け対象となり、対象となった団体の代表から「あの団体とうちの業務は相容れない」旨の発言がありました。この発言で回線統合を思い出しました。業務内容はもともとコールセンター部署が担っていた業務とは違いましたが、実情を知らない人から見れば重複業務に見えたのか、回線統合が成立しました。

コールセンター業務を米子に移管すると言う話を初めて聞いた際、

①商材知識も含めて0から教えなければならない

②管理部署の立場が分からず、きちんと対応ができない

などといった点が懸念されました。特に②に関しては回線統合の二の舞が予想されました。当然、個人レベルでは先の学芸員の例のように進路変更を迫られます。移管してみたところ、知識不足は否めませんが、対応品質はよく、呼損率の低減をはじめ、業務の効率化は一定の成果を得たと思われます。


博物館・自社の業務と見てきましたが、業務移管を進めるには実情をきちんと理解できる人が必要なように思います。「業務効率向上」を目指して移管したのはいいけれど結局逆効果というのは避けたいものです。

解釈の難しさ

米子サイダーのアタガイです。


仕事をする上では、当然のことながら何らかの決まりごとがあります。

決まりごとが明文化されているものとして、ガイドラインやルールブックというものがあります。これらに従って仕事をしなければならないのはいうまでもありませんが、その文面をどう「解釈」するかによって、仕事の仕方が変わってくるものと思われます。


私事で恐縮ですが、2007(平成19)年3月まで東京都渋谷区と神奈川県横浜市にキャンパスがある某私立大学文学部史学科に在学し、毎日のように漢文史料と格闘していました。学内の図書館で分厚い辞書類を山積みにしつつ、わずか数行の漢文と数時間に亘ってにらめっこをしていたのです。そこに何が書いてあるのか。その内容を理解する際、まず文法・語彙の知識だけで「直訳」(意味が通らなければ「意訳」も行う)し、時代背景などを総合的に勘案して1つの「解釈」が成立します。その解釈は当然人によって異なります。そして、自分が行った解釈に基づいて1つの意味付けを行います。これが僕が4年間学んだ歴史学という学問です。


例えば、モンゴル帝国と日本が最初に接触した時の書面を取り上げます。この史料は1266年8月にモンゴルによって執筆され、1268年1月に日本に届いたものです(国家が書いた書面なので「国書」という)。モンゴル帝国と日本の関係に関心がある人であれば、1度は見たことがある史料です。


【文面の大意】

「日本と中国(当時モンゴルは中国北部を支配下に入れ、南部の支配をも視野に入れた時期だった)は古くから国境を接しており長い関係を持っていたが、モンゴルの時代になってからはまだ接触がない。日本の隣国である高麗(朝鮮半島)はすでにモンゴルとの国交を樹立していて蜜月状態にある。ついては日本とも家族のように仲良くしたい。戦争は誰が好むだろうか」


この文面を解釈した際、

・「純粋に平和的な交渉を望んだもの」、

・「脅迫を含んで交渉を迫ろうとしたもの」

という正反対の解釈があります。

プロの学者において、こうした正反対の解釈が成立しています。一字一句にこだわって読んだ上で多彩な解釈が成立し、やがて論争になっていきます。


現在の仕事はコールセンター業務であり、歴史学とは無関係です。けれど、ガイドラインに記載されている文面をどう「解釈」するかという問題にはよくぶち当たります。不明点を別の窓口に確認する際も返答をどう「解釈」するか、迷うことがあります。前述のように複数の解釈が成立しうるものになり、案内を迷うことも決して珍しいことではありません。ガイドラインを作る側はきちんと文面を書いたのだから文面に従ってほしいと考えるはずです。けれど、それを見た人は「解釈」がしにくく、どの「解釈」が正しいのか確認するためにコールセンターに入電があります。オペレーターはその文面をどう「解釈」するかによって、案内を決定します。「解釈」をめぐってオペレーター同士で論争になることもよくあります。漢文ではなく現代文でも同じ問題が起きているのです。


「わかりやすい文章を作る」「誰でも同じ解釈に」と口で言うのは簡単ですが、実際に行うとなるとやたらと難しいものです。ガイドラインをきちんと読んでも、確認部署からの返答メールを読んでも多彩な解釈が発生し、案内の内容を確定できない。これで苛立ちを感じているオペレーターもいます。解釈の難しさは永遠の課題となるのではないでしょうか。ここをある程度受け入れられないと、この仕事を続けるのは難しいと思います。


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上記国書に興味を持たれた方へ


・「純粋に平和的な交渉を望んだもの」との立場での記述

杉山正明『逆説のユーラシア史-モンゴルからのまなざし-』日本経済新聞社 2002年

・「脅迫を含んで交渉を迫ろうとしたもの」との立場での記述

奥富敬之『北条時宗 史上最強の帝国に挑んだ男』角川選書 2000年


上記などををご一読頂ければと思います。他にも著書は多数ありますが、比較的読みやすいものを1点ずつ取り上げました。

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