解釈の難しさ | 米子神サイダー(ヨナゴッドサイダー)

解釈の難しさ

米子サイダーのアタガイです。


仕事をする上では、当然のことながら何らかの決まりごとがあります。

決まりごとが明文化されているものとして、ガイドラインやルールブックというものがあります。これらに従って仕事をしなければならないのはいうまでもありませんが、その文面をどう「解釈」するかによって、仕事の仕方が変わってくるものと思われます。


私事で恐縮ですが、2007(平成19)年3月まで東京都渋谷区と神奈川県横浜市にキャンパスがある某私立大学文学部史学科に在学し、毎日のように漢文史料と格闘していました。学内の図書館で分厚い辞書類を山積みにしつつ、わずか数行の漢文と数時間に亘ってにらめっこをしていたのです。そこに何が書いてあるのか。その内容を理解する際、まず文法・語彙の知識だけで「直訳」(意味が通らなければ「意訳」も行う)し、時代背景などを総合的に勘案して1つの「解釈」が成立します。その解釈は当然人によって異なります。そして、自分が行った解釈に基づいて1つの意味付けを行います。これが僕が4年間学んだ歴史学という学問です。


例えば、モンゴル帝国と日本が最初に接触した時の書面を取り上げます。この史料は1266年8月にモンゴルによって執筆され、1268年1月に日本に届いたものです(国家が書いた書面なので「国書」という)。モンゴル帝国と日本の関係に関心がある人であれば、1度は見たことがある史料です。


【文面の大意】

「日本と中国(当時モンゴルは中国北部を支配下に入れ、南部の支配をも視野に入れた時期だった)は古くから国境を接しており長い関係を持っていたが、モンゴルの時代になってからはまだ接触がない。日本の隣国である高麗(朝鮮半島)はすでにモンゴルとの国交を樹立していて蜜月状態にある。ついては日本とも家族のように仲良くしたい。戦争は誰が好むだろうか」


この文面を解釈した際、

・「純粋に平和的な交渉を望んだもの」、

・「脅迫を含んで交渉を迫ろうとしたもの」

という正反対の解釈があります。

プロの学者において、こうした正反対の解釈が成立しています。一字一句にこだわって読んだ上で多彩な解釈が成立し、やがて論争になっていきます。


現在の仕事はコールセンター業務であり、歴史学とは無関係です。けれど、ガイドラインに記載されている文面をどう「解釈」するかという問題にはよくぶち当たります。不明点を別の窓口に確認する際も返答をどう「解釈」するか、迷うことがあります。前述のように複数の解釈が成立しうるものになり、案内を迷うことも決して珍しいことではありません。ガイドラインを作る側はきちんと文面を書いたのだから文面に従ってほしいと考えるはずです。けれど、それを見た人は「解釈」がしにくく、どの「解釈」が正しいのか確認するためにコールセンターに入電があります。オペレーターはその文面をどう「解釈」するかによって、案内を決定します。「解釈」をめぐってオペレーター同士で論争になることもよくあります。漢文ではなく現代文でも同じ問題が起きているのです。


「わかりやすい文章を作る」「誰でも同じ解釈に」と口で言うのは簡単ですが、実際に行うとなるとやたらと難しいものです。ガイドラインをきちんと読んでも、確認部署からの返答メールを読んでも多彩な解釈が発生し、案内の内容を確定できない。これで苛立ちを感じているオペレーターもいます。解釈の難しさは永遠の課題となるのではないでしょうか。ここをある程度受け入れられないと、この仕事を続けるのは難しいと思います。


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上記国書に興味を持たれた方へ


・「純粋に平和的な交渉を望んだもの」との立場での記述

杉山正明『逆説のユーラシア史-モンゴルからのまなざし-』日本経済新聞社 2002年

・「脅迫を含んで交渉を迫ろうとしたもの」との立場での記述

奥富敬之『北条時宗 史上最強の帝国に挑んだ男』角川選書 2000年


上記などををご一読頂ければと思います。他にも著書は多数ありますが、比較的読みやすいものを1点ずつ取り上げました。