小石川後楽園の続きです。
庭園の北西の一帯(小廬山の奥辺り)は
京都の名勝に見たてているそうです。
嵐山にある渡月橋に擬えた土橋
橋下の流れが大堰川(かつては神田上水を引き入れていたそう)。
渡月橋の下流側は中国の名勝、西湖の堤。
(当園の影響で他の大名庭園も「西湖の堤」を取り入れるようになったとか)
近くの高台を上がると、京都の清水寺を写したという清水観音堂の跡が。
楕円の写真は下から見上げたところ。
石垣に竹の柵があるところが観音堂跡で
本家の清水寺のように、懸崖造りになっていたそう。
通天橋。
こちらは同じく京都の東福寺にある橋にならったもの。
周辺の紅葉が素晴らしいのだそうです。
通天橋の下の流れは大堰川へと続き
遠くに目をやると渡月橋が見えます。
橋の下(石組みの辺り)には音羽の滝が流れていたそうです。
(水車で神田上水の水をくみ上げていたらしい)
通天橋を渡ると得仁堂がありました。
得仁堂は園内最古の建造物だそうです。
光圀が「史記」を読み感銘を受けた、伯夷(はくい)、叔齊(しゅくせい)の像を安置。
この二人について、論語に「仁を求めて仁を得たり」とあることから
得仁堂と名付けたということです。
(別の解説板によると、かつては泰伯(たいはく)の像もあったとのこと)