海蔵寺は小田原を流れる早川の右岸に位置する曹洞宗の寺院。

 

門前には新幹線の高架が走り

背後には一夜城歴史公園がある石垣山が控えています。

 

早川駅から徒歩で石垣山一夜城へ上がろうとしたときの

スタート地点とも言えるような場所です。

 

織田信長、豊臣秀吉に仕え、その才を愛された堀秀政は

小田原合戦の際、先鋒として出陣。

 

石垣山一夜城の前衛として、この海蔵寺に陣を敷いたそうです。

 

早川の左岸にある小田原城の早川口とは1㎞程の距離。

川の流れを挟んで対峙する、まさに最前線。

 

しかし、堀秀政は陣中において突如病を得

そのまま帰らぬ人となってしまったと云います。

享年三十八。

 

秀政は小田原に向けて進軍する中で

激闘であった山中城の戦いにも参戦(3月の末)

 

そのまま箱根を超えて

小田原城包囲陣の一翼として海蔵寺に布陣(おそらく4月)

 

その翌月に突然亡くなっているので

なんだか釈然としない感じもありますけれど・・・

 

とまれ、秀政はこの海蔵寺に葬られ

領国であった越前国北之庄の長慶寺にも墓所が設けられました。

 

数年後、子の秀治が越後国春日山に転封となった際には

春日山城の山麓にある林泉寺に改葬されたそうです。

 

海蔵寺の参道には紫陽花がたくさん咲いていました。

 

本堂。

 

本堂前にあるビラン樹。

成長すると灰褐色の樹皮がはがれ落ちて

紅黄色の木肌が露わになってくるのだとか。

 

 

堀秀政の墓所は本堂から少し離れた高台にあり

宝篋印塔が並んでいました。

石垣山一夜城へ上がる農道に設置されている

「石垣山に参陣した武将たち 堀秀政」説明板のすぐ裏手だったので

説明板から探した方が判りやすいと思われます。