石垣山一夜城の無料ガイドツアー、続きです。

 

東曲輪を通って、馬屋曲輪へ向かいます。

正面に見えるのが馬屋曲輪の石垣。左側は東曲輪のもの。

 

馬屋曲輪。かなり広いです。

奥(南側)に見える石垣(かなり崩れてはいますが)は本城曲輪。

20mを超える石垣で、穴太衆の技術の高さが伺えるとのこと。

 

この石垣は小田原城から見える面にあるようで

それも意識して壮麗な石垣にしたのでしょうか。

 

 

この曲輪には文字通り馬屋が置かれ

かつては本城曲輪寄りに「馬洗い場」と呼ばれた湧水があったそう。

 

小田原城を望めるように、一部の木が伐採されていました。

右手前に見える石垣のところが井戸曲輪ですが

かなり手前に杭があり、ここからはあまり見えない汗

 

小田原城の天守を少し拡大(赤い丸の中)。

 

戦国時代の小田原城は現在よりも北にあったそうで

そちら方面は木に隠れて見え難いですが

笠懸山から見下ろせたということは良く判ります。

 

井戸曲輪については(下の井戸までは行かず)

石垣が見える辺りでガイドさんの解説を聞きました。

 

もともと沢のようになっていた地形を利用して

石垣で囲むようにして造られた井戸。

馬屋曲輪からは25mも下がったところにあるとのこと。

 

螺旋状の石段を下りて底まで行き、水を汲んでいたようです。

内側が石垣で覆われた、巨大な甕の中に下りて行くようで

その体験をしてみたい気もする(でも、水を汲んで上ってくるのは重労働ですよね汗

 

秀吉がこの城に淀殿を呼び寄せていたことから

この井戸は、淀君化粧の井戸とも呼ばれているそうです。