石垣山一夜城公園から早川駅方面への道、続きです。
徐々に眼下の街と海が近くなってきました。
この後、下りて行くにつれて
街並みが近くなって、家々がはっきりと見えるようになると
海はかえって遠くなったように感じてしまうのは不思議・・・。
「石垣山に参陣した武将たち」の説明板
次にあったのは、宇喜多秀家です。
一夜城歴史公園まで1110m。早川駅まで1240m。
もう1㎞以上下りてきたんですね。
宇喜多秀家は小田原合戦では
小田原城の西方、水之尾付近に陣場を構えたそうで
合戦の最中には北条氏直の弟、氏房に
酒や肴を贈って籠城の苦労を慰め
伊豆の江川酒を返礼として贈られたそうです。
続いては伊達政宗。
一夜城歴史公園まで1350m。早川駅まで1000m。
小田原合戦に遅参し
白装束で秀吉に伺候、というパフォーマンスは有名ですね。
沿道にはみかん農家さんが多いのか、みかんの木が多く
伊達政宗の説明板もみかん畑の前にありました。
最後の説明板は(上るときには最初に目にしますが)
名人久太郎こと、堀秀政です。
一夜城歴史公園まで1600m。早川駅まで750m。
堀秀政が小田原合戦に参陣したのは38歳のとき。
石垣山(笠懸山)の麓、海蔵寺に陣を敷きますが
病のために陣中で没してしまいました。
その海蔵寺近くの高台に説明板はあります。
この日、説明板周辺では大掛かりな草刈り作業が行われていて
その為の車が路肩にたくさん駐車していました。
説明板の前にも駐車されている車があったので
写真は隙間から撮らせて貰いました
海蔵寺の門前には新幹線の高架があり
それをくぐると、早川駅は間もなくでした。