臼杵石仏の入口(観覧券集札所)から緩やかな坂道を進むと

辿り着くのはホキ石仏第二群の建屋(ホキは崖という意味)です。

 

どうして最初に拝観するのが第二群なのか・・・変な感じですが

調査の際の分類だかで、仕方がないそうな。

 

ホキ石仏第二群の建屋から深田の里(東方面)を見たところ。

臼杵石仏公園が広がり、その奥の瓦屋根は満月寺です。

(現在の満月寺は昭和になってから復興された寺院です)

 

石仏造立時に創建された紫雲山満月寺は、ご本尊は臼杵石仏

広い寺域に五院六坊と無数の堂宇があったそうです。

(堂宇が並んでいたのは現在の満月寺辺り)

 

満月寺の辺りから石仏のある山裾にかけて

つまり、眼下の石仏公園一帯には広大な池が造られていたとのこと。

 

ホキ石仏第二群の第一龕は阿弥陀三尊像

第二龕は九品の弥陀像。

 

阿弥陀堂ともいえるホキ石仏第二群は広大な池の西側に配されており

紫雲山満月寺は浄土式庭園の形式になっていたのだとか。

 

そのスケールの大きさったらビックリマーク

 

当時の僧侶たちは此処(ホキ石仏第二群)へは徒歩で行き来していたようで

もっと奥の古園石仏までは舟を利用していたと思われるそう。

第一龕の阿弥陀三尊像はクリーニングの紫外線照射中でした。

青い光で苔を駆除しているのだそうです。

 

第二龕は九品の弥陀像。

欠損のひどい像もあります。

 

右端が観音菩薩立像、左の四躰が阿弥陀如来立像。

 

一番左におられる不動明王さんは、所属不明の御方だそう。

石の感じが少し違いますね。

 

建屋の外側にある多くの五輪塔(一番上の写真にも写っている)

ホキ石仏第二群にのみ見られ、これより奥の石仏には無いので

 

かつて市井の人々が参拝できたのは此処までで

その先は僧侶のみが立入れた場所だったのではないか、ということでした。