徳川家が再築した大坂城の本丸には

11基の三層櫓が築かれていたそうです。

(備蓄用の武器武具や兵糧などが納められていたらしい)

 

本丸に現存している櫓は無く、あるのは櫓跡ばかりなのですが

 

解説板が設置されていて櫓の名前や用途まで説明されているところと

何もないけれど、素人目にも櫓があったんだろうなと思える場所と

 

櫓があったなんて全く解らない(判り難くなっている)ところがあります。

この差って、何なんでしょう。

 

解説板のあるなしの基準も解らないけど。

(信頼性のある)資料に出てくるか否かとかなのかな。

 

 

そんな判り難い櫓跡の上位を争う、御成門内櫓跡。

ライトアップの照明器具が設置されているし

側にあるのは解説板じゃなくて、天守閣入口の案内表示ですもんね。

 

天守のすぐ側にあるのに(それが災いしてるのか)

殆ど顧みられない櫓跡です。

 

人通りがものすごく多い場所だけに、哀愁度が増してる気がする。

 

天守とのツーショット。

現在エレベーターがある辺りに、仕切と御成門があったみたいで

櫓の名の由来になっているようです。

 

私は櫓といえば角というか隅というか

 

出っ張ったところにあるものだと思ってしまいがちなのですが

御成門内櫓跡は引っ込んだ角の内側に位置しています。

隠し曲輪からみたところ。矢印のところです。

こういうのも見落とされポイントになるかも知れないなぁ。

 

 

それから。11もあると櫓の特定というか

呼び方等に苦労は無かったのかなと思ったりします。

 

一番櫓とかだと単純だけど

この御成門之内櫓とかだと(別に弓方預櫓ともいうらしい)

 

いちいち会話の中でフルネームで言ってたんでしょうか。

これオナリモンノウチヤグラに入れといて。とか。

いやそれはウズミモンムカイヤグラのほうだよ。とか。

 

長いし、噛んでしまいそうだし

仲間同士の符牒のようなものがあったんですかねぇ。

職場の畏まった会話だと苦にならないのかしら。

 

・・・と、いらぬ想像をしてしまうのでした。

北から見たところ。