西長堀にある、大阪市立中央図書館。
自治体の図書館では最大級の施設規模だという、大きな図書館です。
この図書館の南東角に、木村蒹葭堂邸跡の碑があります。
木村蒹葭堂(けんかどう)は、江戸中期の人で
文人で博学多才。蔵書家であり、コレクター。
酒造家を営む商家の主で、いわゆる町人学者です。
蒹葭堂という、ちょっと変わった呼び名ですが
自宅の書斎を蒹葭堂と名付けていたらしく
邸内の庭に井戸を掘っていたとき、古い芦の根が出て来たので
古歌に名高い浪速の芦であろうと喜び、書斎の名にしたとか。(蒹葭は芦のことらしい)
これを好んで、号としても用いたのだそうです。
木村蒹葭堂邸址碑の側にある、顕彰碑。
谷文晁による肖像画も掲載されています。
私の個人的印象では、木村蒹葭堂は「○○をした人」という
記憶するときの取っ掛かりのようなものが無くて
でも、この時代の文人や画家や学者や、を調べていると
木村蒹葭堂と交友があり・・・とか
交友があったのは、○○(人名)や木村蒹葭堂・・・とか
高確率でこの名前に遭遇するという、不思議な印象の人でした。
木村蒹葭堂は、才能があって、それに打ち込める環境もありながら
学問や芸術で身を立てようとしていたのではなく
(既に家業がありますもんね)
名誉や地位にも執着せず
学問や芸術は趣味だと公言していたのだそうです。
(だから、「○○をした人」の範疇に入らなかったんですね)
また、豊かな財力を背景に、書画、骨董、書籍、地図の類
鉱物標本、動植物標本、器物などを買い集め
そのコレクションは多様かつ膨大なもので
また、それらを誰にでも公開し、貸し出してくれたそうな。
蒹葭堂コレクションは当時から有名だったらしく
彼自身の知識やコレクションに惹かれて
諸国から多くの学者、文人、好事家等が蒹葭堂邸を訪れたということです。
メディアやSNSの無い時代なのに
全国に蒹葭堂コレクションの噂が広がってるのもすごいよね。
彼が亡くなると、その蔵書や標本類は幕府が収納し
大部分は昌平坂学問所に納められたということです。
豊富な知識と莫大なコレクション(資料)を惜しみなく公開し
知識のネットワークを築いていた木村蒹葭堂。
その屋敷の跡に、現在、大規模な図書館があるというのは
縁というか、宿命というか・・・不思議なものですね。