大阪城公園の南にある、越中公園。

 

この辺りは、細川忠興の大坂屋敷があったところだそうです。

細川忠興が越中守だったので越中公園だと思われ。

 

公園には遊具もあって、子供たちが楽しそうに遊んでいました。

 

越中公園から道路を隔てた斜向かいにある小さな茂みは

細川忠興大坂屋敷の台所だったらしく

残された井戸は「越中井」と呼ばれ、此処に

 

越中井 細川忠興夫人秀林院殉節之遺址の碑があります。

 

洗礼名のガラシャで知られる、細川忠興の夫人は

明智光秀の息女であったため

本能寺の変の後は丹後で幽閉生活を送り

 

秀吉の取り成しもあって細川家の大坂屋敷に戻ったそうで

この頃キリシタンに改宗したそうです。

 

そして、関ケ原。

 

西軍の人質となることを拒否したガラシャ夫人は

大坂屋敷において自刃(自ら死を選んだという意味で)

屋敷とともに焔に包まれたということです。

 

 

碑にはガラシャ夫人の辞世も刻まれています。

散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 

 

 

現在、越中公園の南側(ここも細川家大坂屋敷の敷地だったらしい)には

カトリック玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)が建っています。

手前の像は、福者 ユスト高山右近。

 

奥の像は細川ガラシャです。

大聖堂の内陣には肖像画もあるそうです。