現在、鷹見泉石記念館となっている武家屋敷は

 

もとの建坪は100坪(現在の2倍以上)

屋敷全体は現在の4倍以上もある広大な屋敷だったそうです。

 

鷹見泉石記念館は座敷には上がれず、外からの見学なので

泰西堂の八畳から庭の方へ回ってみます。

 

 

この奥の八畳には泉石の号のひとつ「楓所」という軸が。

こちらは天保15年(1844年)清国の項挹珊が揮毫したものだとか。

(泉石は江戸詰めの頃らしい)

ホント西洋東洋問わず、交友関係が広いですよね。

 

「楓所」は、この屋敷の庭にある楓樹に因むとも

鷹見家の家紋(抱角に楓)に由来するとも云われているそうです。

 

庭にあった楓樹(ふうじゅ)。

 

楓樹は唐楓の一種で、原産地は中国や台湾。

古代中国では天子の居所に植えられていたそうで

 

八代将軍徳川吉宗が初めて日本に輸入し

江戸城と日光東照宮、上野の寛永寺に植えたんですって。

 

日本では実生が難しいらしく

この庭にあるような、江戸時代からある古木は珍しいのだそうです。

 

 

この鷹見泉石記念館は泉石が晩年を過ごした屋敷ですが

 

古河歴史博物館から数百m北にある古河第一小学校の北側に

「鷹見泉石生誕の地碑」があります。

当時、付近は城下町の一画で四軒町といったそうです。

 

この碑には泉石がオランダ商館長から贈られた蘭名

ヤン・ヘンドリック・ダップルの署名がありました。