笠置寺には朝イチに着いたので

正月堂の扉はまだ閉じられていました。

すぐにお寺の方が来られ、開錠して下さいましたが

最近は人がいないとき、野猿がお供え物を掠めに来るそうなサル

 

正月堂に近づくと、周囲に巨石がたくさんあって

山の方を見上げると、寄り添うような巨石が眼に入ります。

 

(下にある案内板の位置関係からすると)

左の巨大な石が薬師石、右の大きな石は文殊石

その間に挟まれた小さな(比較の問題ですが苦笑)石が笠置石らしく。

 

笠置寺縁起によると

笠置山へ鹿狩りにきた天智の皇子が笠置山で危難に遭い

仏の加護を乞うとき、岩に弥勒仏を刻むと誓願した。

 

皇子は後日(仏を刻みに)再訪するときの目印に

ご自身の笠をその場の石に置いて帰られた。

 

とのことで、それが笠置石なのだそうです。

(これが「笠置」という地名の由来とのこと)

 

後日、改めて皇子がこの場所に来られ

天人の力を借りて刻んだというのが、ご本尊の弥勒仏(摩崖仏)だそうです。

 

 

笠置石の下方には石の十三重塔。

元々は笠置寺に隠遁した解脱上人によって建てられた

木造本瓦葺の十三重塔が建っていたそうです。

 

結構狭いところなんですが、木造の十三重塔ってどんな感じだったのかなぁ。

 

解脱上人(貞慶)は興福寺の学僧でしたが

建久4年(1193年)笠置寺に隠遁、十数年間を過ごされていて

 

この間に笠置寺の伽藍が整備されたようです。

 

しかしながら、100年余り後の元弘元年(1331年)

鎌倉幕府を討とうとする後醍醐帝の計画が幕府側に漏れ

帝は御所を脱出、笠置山で挙兵(元弘の乱)。

 

JR西日本 ロゴ笠置駅の前には、笠置山の戦いを再現した人形がありました。

 

天然の要害であった笠置山も火を放たれて陥落

寺の堂宇も燃え落ちてしまったということです。