自己紹介 | 50歳からのYOJO〜ウェルエイジングサロン「成熟した女性達へ✨」【佐賀】森永智登美ちとみんのブログ

50歳からのYOJO〜ウェルエイジングサロン「成熟した女性達へ✨」【佐賀】森永智登美ちとみんのブログ

出会った女性を美に導く「美の伝道師」ちとみんこと森永智登美です

1967年10月24日生まれ

56歳♀︎


家族

夫・次女  同居

長女は東京1人暮らし



💎ヒーリングサロン「みそら」主宰

💎セラピスト

💎インストラクター

💎セルフケアマスター

💎clipupマスター


親の職業や自分の学歴を否定し続けた人生


佐賀県は国内トップの生産量「佐賀海苔」が有名です。私はその佐賀海苔を生産する芦刈町の漁師の家に生まれ育ちました。


地元の人は「のり師」と呼び、その響きが大嫌いだった。

気候など自然の影響を受ける収入は毎年違っていて、私が大学進学を夢見て受験を決めた時、両親に「…就職してくれないか」と。「?!」耳を疑った。


子どもの学費って親が準備していてくれるものだと思っていた…。でも…ウチは兄弟が4人いて…違ってた。

進学を相談していた担任の先生には本当の事を言えずに「進路は就職でお願いします」と伝えた後に1人泣いた。辛く悲しかった。

私は「学歴」が欲しかったのだ。これから一生「高卒」で生きて行くなんて…嘘でしょ?!


でもね…今思えば、本気で進学したいのなら、
学費のかからない県内の国公立大学に自宅から自力で進学すれば良かったんだよね。

思い通りにならない事を、全て人のせいにしてきたんだな~。その方が楽だからね


就職するも…

18歳で県内の漁業協同組合の信用事業を統括する金融機関に就職するも、2年で退職。

その後、美容師を夢見て福岡へ。通信の美容専門学校に通いながら美容室に就職。が…これも2年で退職。

どこへ行っても我慢が足りない…
と自分を攻め無力感に襲われる日々


自己肯定感の低いまま 生きていた


それ以降はフリーター


「智登美さんて何をやってきたんですか?!」って聞かれるのが1番困った


何にもやってきてないから…


いつも親の職業や自分の学歴・職歴を知られるのを恐れていた。

誰かが知ったところで、誰も何とも思わないし、どうでもいい事だし、気のせいなんだけどね。

自分がソレを否定し裁き、赦さないから…隠したい。隠したいから変なプライドっていう鎧被って、無駄な力入っちゃって、身体はカチコチに固まり、歪んでいった。


人生のパートナーとの出会い


ここまで 読まれると「終わってんな…」って感じですが、色々隠しているから、見た目は元気。小学生の頃からずーっと通知表には「明朗快活」って書いてもらってました。

そんな歪んだ青春時代の唯一心の拠り所は今の夫

夫とは17歳で出会い29歳で東京でテレビドラマの番組制作の仕事をやっていた彼との結婚生活が始まった。

2人の娘にも恵まれ、慣れない都会暮らしの中での子育て。この子たちを生きて育てなきゃ…と必死だった。

制作の勤務時間は不規則で、撮影に入ると朝5時出勤→夜中1時帰宅なんて事は日常だった。

その間頼る身内もいない環境の中での子育ては簡単ではなかった。身体は疲弊していった。

そんな時(上の子 4歳 下の子1歳)
夫の紹介でゴッドハンドと呼ばれている整体の先生に出会い、身体が嘘の様に軽くなり、歪み続けていたせいで真っ直ぐな身体が違和感だったが、目の前がパァーっと明るくなっていったのを鮮明に憶えている

先生は不思議な力を持っていて、痛みを触っただけでわかる人だった。見た目は揉み揉み整体だけどほぐしながら痛みを抜いていた。

揉んでいる様に見えるがアレは筋肉をずらしていた。不思議と痛みから解放される。「誰にでも出来る手技よ。感覚だからスイッチ合わせるだけ」

先生に身体を整えていただくようになってから、歪みもだいぶ改善し、「この手技を学びたい!」と思い『 自律神経操整方』という先生オリジナルの手法を学ぶ事となる。

この経験が今の私の基盤となっているが、残念ながらこの手技を仕事として活かす事が出来なかった。

 

出会うようになっていたんだね


2011.3.11東日本大震災から2年後、介護の為に佐賀に移り住む事となるが、分刻みの都会とスローな田舎の生活のスピード感の違いに戸惑い、慣れるまでに3.4年はかかった。

ようやく慣れた頃に撮った写真の自分の姿を見て愕然とした。「え?コレ…私?!」顔は潰れて首はなく、身体はTheオバサン!!

その頃の身体は常に疲れていて、毎日3時間のお昼寝をしないと身体がもたなかった。ひどい肩こり、腰痛で3ヶ月に1度は3日間寝込む…という生活の繰り返し。

その頃に自分で肩こりや腰痛、お顔のケアまで出来るという画期的なケア方法に出会う。

このケア方法は理論があるから、再現性が高い。何か良さそうなケア方法を学ぶ事を決め、出会いから3年後の2019.8 にはインストラクター資格を取得した。


貴方の人生だから好きなように


夫は「貴方の人生だから好きな様に生きていいよ」といつも応援してくれます。

2年前にリンパケアのサロンをオープンした時も
「やりたい事はやりなさい」と応援。

夫の応援無しでは今の私はないと感謝しております。

どんな時も今の私を応援し認めて全力で受け止めてくれる夫と子どもたちがいる。  

自分も自分を認めて大切に扱っていたら、家族も私も幸せ。心がポカポカ♡


それだけでいいじゃない…と思えるようになった

自分の学歴や職歴、実家の職業…他人の目なんか、どうでもよくなる。

何のプライドだったんだろうか…。

低学歴とか、親が「のり師」だと自慢にならないと思っていたんだろうな…愚かだ。

今では、節分の恵方巻きやお寿司屋さん、毎日の食卓に幸せを運んでいる佐賀海苔を製造していた両親を誇りに思う。

「何でこんなギャンブルみたいな職業選んだの?!」って父に尋ねた事があって、父は遠くを見ながら「俺、コレしか出来なくて…」って。


もう直接は言えなくなっちゃったけど
「お父さん…ごめんなさい」


生きやすい世の中へ


自分自身、身体の歪みからくる身体の不調、顔の悩みや、お肌の悩み…その経験があるから お客様にそっと寄り添い 改善方法のご提案ができます。

かつての私のように悩みを抱えたまま生きている方がいらっしゃれば、セラピストの私に会いに来ていただけたら嬉しいです。

ご自身の為、ご家族や大切な方の為へのケア方法を学びたいと思っていらっしゃる方には、講師としてケア方法をお伝えします。

今 私は出会うべくして出会ったケア方法で自分史上最高の『生きやすさ』を感じています。まだまだ進行形なので、明るい未来しか見えません。

そして

今まで出会った方、今から出会う方にも同じ様な感覚を味わっていただけたら幸いです。

最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。




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