今日でまた一つ年を取った。そんな言葉が浮かんだら、泉谷しげるの「春夏秋冬」を思い出してしまった。ここで私の年齢は書かないが、長生きしたとしても、もう人生の折り返し地点は過ぎたかな。妻とは13歳年が離れているので、先に死ぬのは私だろう。娘と息子はまだ小さく、妻に苦労を掛けさせるのは嫌なので、学校を卒業して子供達が働いて自活できるようになるまで、お父さんはガンバラナクッチャ。

 

とは言っても自分の人生は自分のものなので、楽しんで生きたい。今、一番したい事は子供達とゆっくり遊ぶ事かな。

 

もう直ぐ中国は春節(旧正月)休暇(2/15-21)だ。小学校の娘はとっくに冬休みに入り、幼稚園の息子は明日から冬休みだ。私の妻は中国人だが、今年も妻の田舎には帰らない。妻の田舎は農村だが、農村の家は古く、冬はシャワーできない。あまり田舎の銭湯に行きたいと思わないし、過去子供達が風邪を引いて上海に戻って来た事も有るので、今年も上海で静かにゆっくり過ごす予定だ。

 

休暇中に音楽をゆっくり聴きたいとも思うが、できるかな?最近、Ornette Colemanをじっくり聴こうと思っている。あくまで私の印象だが、Eric DolphyやAlbert Aylerと比べて、Ornette Colemanは少し異質な感じがして、今まであまり聴いて来なかったのだが、フリージャズについて考えた時に橋渡し役の一人としてOrnette Colemanはしっかりと聴いておくべきかな、と思ったのだ。

 

年を取ると、朝、と言っても冬の今は暗い内に目が覚める。そういう時に少し死について考える事も有る。起きてベッドから出てしまうと考えなくなるのだが。一日一日、一歩一歩、死に近づいている。死に向かって生きている。こんな書き方をしていると横尾忠則の文章のようだ。

 

上海は来週から気温が緩みそうだ。暖かくなると気持ちも暖かくなる。残りの人生、家族のためにも、自分のためにも、健康且つ楽しく過ごしていこう、と思った今日である。