結婚3年目に男の子をさずかりました。
ヨメが初めての子供なので、”一”が付く名前が良いとの事で、”幸一”と名付けました。
そう往年の大打者、まんがにもなった”田淵 幸一”と同じ名前です。

少年野球から高校1年まで野球少年でもあり、大阪なので、もちろんタイガースファンの私も納得の名前です。


野球は怪我のため、高1の夏でやめてしましましたが。

大きくなったら、キャッチボールから始めて、リトルリーグに入れようとハイハイも出来ない頃から、グローブを枕元に置きました。


ヨメは冷静に”あほやなぁ”と笑っていました。

幸一が3歳になる頃、ゴロでのキャッチボールが出来るようになって、”これは将来大物になる天才かも”と親ばか丸出し。


風邪もひかずすくすくと育っていましたが、ある晩、幸一が真っ赤な顔をして、ぐったりとして、おでこに手をあてるとひどい高熱。


あわてて、救急車を呼び、病院へ。
そのまま、眠れぬ日々が3日3晩が過ぎ、医師からICUに呼ばれた。
感染症から合併症を引き起こし、重度の肺炎になり、今晩がヤマだと。
話している事は分かるが、内容が全然頭に入ってこない。ヨメは横で今にもすがりつきそうに泣きじゃくっている。


その後に事は夢を見ているようで、確かな記憶がない。

家の壁にはなぐった痕と遺骨がむっちゃ小さいかった事だけを憶えている。