You Only Live Once -4ページ目

You Only Live Once

日々のことをつらつらと。
思ったことをつらつらと。
何を書くかはまだ全然決まってません。

昨日ふと思ったことなんだけど、
思春期って辛かった。

辛くて辛くて仕方なかったんだけど、大人になるとそういうのって忘れていっちゃうんだろうなと思ったので書き留めておこうと思った。

もちろん毎日が辛いことの連続なわけではなくて、楽しいことも沢山あったんだけど、私は大学生になった今でも、思い出せば苦しかったイメージが強い。




〈辛さの種〉

二次性徴期を迎えた身体的変化に伴う多大なストレスと、日々目まぐるしく変わる人間関係構造(女子のグループとかスクールカーストとかのあれ)が小6~中3にかけて私を苦しめた。高校に入ってからは人間関係の方は落ち着いたから段々楽になっていったと思う。


辛さの大きな要因は多分上の二つなんだろうけど、何より辛かったのは、"なんで"という部分が分からなかったこと。

なんで自分が苦しいのか、なんで目の前で大変なことが起こってるのか、なんであの子はそんなことするのか、なんで私はこんなことしちゃったのか、理由とか原因とか、そういうものが何も分からなかった。それに加えて、モヤモヤをどんな言葉に乗せて表現したらいいかも分からなかったし、もちろん誰に相談すればいいかも分からなかった。(そもそも苦しさが当たり前になって、苦しさに疑問も抱いていなかったかも。)

いつもモヤモヤした気持ちを抱えて、目の前の霞の奥に隠れたものが何かも分からずただ毎日を過ごしていた感じ。



〈分からなさ〉

「分からない」っていう状態は多分大人が想像する以上に思春期の渦中にいる本人にとっては苦しいことで、すごく精神的に負担がかかる。
どんな状況だったかうまく言えないけれど、具体的に言うと次のような感じ。


昨日、一昨日からどんどん変わっていく身体に期待と違和感を持ってソワソワしていた。

昨日まで仲良くしていた子が今日から別の"親友"を作った。

友達が仲間を集めてある子を囲った。その子は次の日から学校に来なくなった。

数学の成績が悪くて親はヒステリックに怒るけど、でもどうしようもなかった。

どこにいても居場所がない感じがして何となくすごく窮屈に感じていた。

あの子が持っているものを私も欲しかったけど、何となく私には手に入れられないものだと思った。

初めてできた彼氏からのメールに一喜一憂した。

担任の先生の言動がとにかく全て気に入らなかった。



でもどれも、何でか分からなかった。どうしていいか分からなかった。疑問に疑問を重ねて、何も解決されて行かなくて、何となく「忘れる」「気にしない」という方法しか取れていなかったと思う。



〈救いが欲しかった〉

あの時、「つまり、これはこういうことなんだよね」って気付かせてくれる人や物事に出会えていたらどんなによかっただろうと思う。「私の目の前に広がっている(小さな)世界はこうやって出来上がっているんだ」って何かに納得できたら、どれだけ気が晴れただろうか。

でもだからと言って、大人が知った気になって「つまり、こうなんだよ。」と教えてくれてもほとんど意味がないというところが難しい。私は当時「大人が私の気持ちなんて分かるわけない」と強く思っていたから、多分本人が気付いて納得できることが一番いいんじゃないかと思う。
 
世界の見方が分かるとすごく大きな武器になるから、そんな鱗片の見える本なり映画なり、近所の大人の話なり、触れてみたらいいと思う。



〈混沌の整理〉

頭の中に無限に広がるはてなマークをひとつずつ整理できると、すごく気持ちが軽くなる。私はこのはてなマークを整理しきるのに多分3年以上かかったと思う。


でも「なんで」が分かるようになって、高校入学の直前の3月頃、やっと小学校の意地悪な女の子の気持ちが分かったし、そのおかげで何となくそれに関わった子たちを許すことができた。
そして同じ時期に複数で1人を責めることは喧嘩の作法としてはルール違反だっていうことも知って「やってはいけないことリスト」の項目を増やすことができた。
私も不安だったけど、みんなも同じように何かしらの不安を感じていたんだろうと気がつくことができた。
世の中にはどう頑張っても反りが合わない人がいて、その人とは無理に仲良くしなくてもいいことが分かった。
あと生理の前は無性にイライラしたり不安になったりすることも分かった。


色々分かるようになって、物事を測る物差しの種類が増えて、物差しの使い方を覚えて、そして自分に合った立ち回り方を覚えて、高校生くらいになってやっと、下水道からの抜け道を見つけられた気がする。



〈今の自分〉

振り返ってみるとやっぱりすごくどんよりした思春期を送っていたと思う。楽しい思い出もあるっちゃあるけれど。
それでも私は後悔はしていなくて、あの時沢山悩んで沢山悶々としたから今の自分があると思っているし、無理やりにでも理由付けをして自分を納得させて苦しみから抜け出したあの時の自分を誇らしく思っている。

人によって思春期って違うと思うけど、私の苦しさのネックは物差しのなさで、それを獲得する過程で段々と解決されるものだった。

それは今の自分にとってもとても大切なことで、モヤモヤしたり分からないことがあったりすると自分の精神衛生上良くないということが分かっているので、その時は物差しを探す作業をすることにしている。


思春期はマイナスなものが重層的に積もり積もった時期だったけれど、その分学びも多かった期間だったと思う。あの時の自分にお疲れ様って言ってあげたいな。




「もっと素直になれたらなぁ、、。」




人との関係の中で、自分と向き合う中で、誰しもそう思ったことがあるんじゃないかと思う。


もちろん私もその1人なんだけど、高校生くらいから素直ってこうやるんだなっていうのが掴めてからは随分気持ちが楽になってきた。


でも「はい、じゃぁ素直になりましょうね」って言って出来るものでもないということも重々承知であって、誰かに強要したりはしない。


how-toみたいなものを書くと、なんかどっかの胡散臭いキュレーションサイトみたいになってしまいそうで嫌だからそんなつもりはないけれど、

素直ってコツというか、やり方みたいなものがあって、それを体得して、変化の違和感に慣れて、段々と自然に出来るようになって、それから素直の良さというかそういうものを実感できるんだろうなーと思う。

もちろん素直は素直で生きづらさはあると思うけど、私は今の感じが気に入っている。からそれでいいかな。

何が言いたいかというと、素直は何となくで実現できるものではなくて、意識的に訓練しないとできないものなんじゃないかなーと思いました。ということ。です



たまにはネガティブなことを言ってみる。


辛いときに辛いと言うことが大事だとどこかの誰かに聞いたことがある。
でもそんなの嘘だと思うんだ。

辛いと言うことはそう感じている人にとって最も骨の折れる行動だと思うから。

辛いと言語化することで「本当に辛いんだ」と改めて認識してしまうのに誰もが耐えられるだろうか。

辛いと言って誰も手を差し伸べてくれなかったら、その状況に余計に絶望してしまうだろう。

辛いと言って「そんなの大したことない」と言われたら、恥ずかしくてやってられない。
そして何より自分がそう感じるよりももっと辛い状況にいる人を想像すると、その人に対して失礼だと思ってしまう。

さらに複雑なことに辛いと言った話に共感されても正直嬉しくない。だって似た状況にいても感じ方は絶対に違うから。下手に共感されたくないし、的外れなアドバイスなんて貰ってしまったら言わなきゃよかったと心底思うだろう。


そんなこんなで辛いと言うことが本人の精神衛生上好ましい影響を及ぼすかと言うと甚だ疑問なのである。だから大事っていうのも嘘なんじゃないかって。


辛い時にさらっと辛いと言えるなら誰も苦労なんてしてないさ。