You Only Live Once -3ページ目

You Only Live Once

日々のことをつらつらと。
思ったことをつらつらと。
何を書くかはまだ全然決まってません。


お気付きの方も多いかと思いますが、夏の終わりに私は大切な人を亡くしました。

私にとってかけがえのない存在であった父です。



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友人から聞いたことなのですが、「医学的に人は人の死を受け入れるのに3ヶ月から6ヶ月程度かかると言われている」そうです。

私はまだまだ気持ちの整理がついていないんですが、父が亡くなった後、いろいろな人と話す中で思うところがあったので、それについて綴ろうと思います。

書くのは、周りの人に言われて微妙な気持ちになったこと、言われてありがたかったことの2つだけです。あくまで私個人の意見なので、捻くれた見方をしてるところもありますが、「そういう人もいるんだなー」と思って読んでくれるとありがたいです。



どこかで辛く悲しい思いをしてる人に届くといいなと思います。どこかで辛く悲しい思いをしている人を支える人に届くといいなと思います。


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周りの人に言われて微妙な気持ちになったこと

私が一番「う〜ぅん」という気持ちになるのは、変にコメントされることです。


父を亡くしたと聞いた人で多かったのは、
「俺もおじいちゃんを亡くしたとき〜」
「私もおばあちゃんを亡くしたとき〜」
と自分の経験と照らし合わせて、「だからその気持ち少しわかる」というコメントをして来る人。

純粋に、「どうして私にとってのお父さんが、あなたにとってのおじいちゃんと同じような存在であると思うんだろう」と疑問に思いました。人は死に方も違えば、周りの人との関係性もそれぞれ違うのだから、周りの人が受ける感情は十人十色なはず。

「悲しい」という感情だけ見れば似たようなところがないわけではないんだと思うけれど、「だからあなたの気持ち分かるよ」というのは少し違和感がありました。

私の体験を「他の誰かのそれと類似するもの」として捉えられていると感じてしまって、私はあまりいい気持ちはしなかった。


あなたの物語と似た物語として捉えるんじゃなくて、私の、私だけの他の何とも類似しない物語として感じていたかったから。



次に複雑だったのは、「お母さんを支えてあげてね」という言葉。
これは本当にいろんな人に言われた。親戚もそうだし、ちょろっと話した知り合いの人とか、「テンプレか?」と疑うくらいには沢山の人から言われました。

別にテンプレっぽかったから嫌だったわけでないんですが。
「支えてあげて」という言葉の意味が、私には重く感じて仕方なかったです。「支える」っていうのは、"より余力のある方が、そうでない方を支援する"というようなイメージがあったので、つまり私が「支えてあげてね」と言われるということは、私は「より余力のある方」と認定されているんだなと感じていました。(葬儀とか、その後の職場との手続きとか、あれこれ大変なのはもちろんお母さんだと思うので、そういう意味なら納得するけど、でもその意味だとしたらそれはそれで"余計なお世話"な気がします。)

私ってそんなに大丈夫そうに見えるのかなー。意外とそんなことないのになー。って。


「支え合ってね」と言われるなら納得なんだけどなぁ。とにかく「支えてあげてね」は重く感じました。


以上が二大言われて複雑だったことです。他にもあった気はするんですが、ここでやめておきます。

誰かから「辛い・悲しい体験をした」と聞いた時は、無理に自分の話に引き寄せず、無理にうまい言葉を掛けようとしないでいることが大事だと思います。

特に何も言われなくても、静かに耳を傾け続けてもらえるのが私は一番ありがたかったです。




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言われてありがたかったこと

この流れで来ると「言われてありがたいこと」なんてなさそうな感じしますよね。

確かにそんなに多くはないです。

でも「そうだったんだね」「そういう風に感じたんだね」と私の話に対して共感も否定もせずに、聞いてもらえた時は嬉しかったです。

私の気持ちを受け止めてもらえたような気がして安心感がありました。


あとは、月並みですが「あなたのことが心配」「あなたは大丈夫?」「無理せずね」とか「最近どう?」とか、私のことを気にかけてくれる言葉はすごく嬉しかった。
うまく言えないけど、「自分は取るに足らない存在ではないんだな」と思える。日々生活を続ける勇気が出ます。


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ここから得た学び

自分の喪失体験から学んだことは、「人の経験は自分のそれでは測れないし、自分の経験も人のそれでは測れない」ということ。

自分の経験をもとにして、相手の経験について"想像する"ことはできると思います。でも"共感する"ことは出来ない。「もしかしてこういう気持ちなのかもしれない」と思ったら、相手の話には「そうなんだね」と言って、その気持ちから逃げもしないし踏み込みもしないでいる、というのが今のところ無難なのかなという気がしてます。


今回のことを通して、「あなたに私の何が分かるの」と感じることも幾度かありました。でもきっと、私も同じくらいかそれ以上に、「あなたの気持ち分かるよ」っていう態度を取っていたんだろうと思います。(私からそうされた事があった方、本当にすみませんでした)


「無理にコメントをしない」というのはシンプルでいて、とても重要なことで、そしてとても難しいことです。でもだからこそ、私はこれから気をつけないといけないなと思う。




でも私もただの人間ですから、きっといつかこんな感情も忘れてしまうんじゃないか、と心配したので、書き残しておこうと思ってこの記事を書きました。
(先にも書きましたが、あくまで私個人の意見なので、他の人にもこの方法が有効だという訳ではありません。自分の経験を吐露した時に、相手にも同じようにその人の経験を話してほしい人もいると思います。その人の性格とかその人との関係性とかを見極める必要があるのは言うまでもないことだと思います。)


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最後にですが、
ここまでいろいろな形で私の話に耳を傾けて、私の気持ちに寄り添ってくれた方全員に感謝致します。
きっとまたクヨクヨすることも沢山あると思いますが、またお話ししたり、ご飯に誘って頂けたりすると大変ありがたいです。
「立ち直る」というのはまだ難しいことに思えるけれど、「生きて、そして生活する」ということに前向きになれることが多くなるといいなと思っています。




今日大学へ向かっていた時、車椅子に乗った男性が電車に乗り降りする様子を見た。

駅員さんが大げさに音を立てて(わざとじゃないんだろうけど)スロープの板を開いて畳む。

車椅子に乗った男性は口を動かすのにすごく努力が必要な方だったんだろう。振り絞るような声で「ありがとうございます」と伝えていた。

率直に「それって必要なのかな」と思った。


まぁ人に何かをしてもらったらお礼を言うのは当たり前なんだろう。
でも電車の乗り降りをするときに、電車を動かしてくれて駅を整備してくれる駅員さんに対していちいち「ありがとう」なんて心の中でさえ唱える人なんていないんじゃないかと思う。

今日目にしたやりとりに"間違い"はなかったんだろう。
でも車椅子に乗った人がお礼を言う義務感を感じるほど"わざわざやってる感"が出るような作業をしないと、車椅子に乗った人は電車に乗り降りできないと言うのが現状で、私はこれはかなり負担なんじゃないかと思う。

駅員さんがわざわざ感を出さないようにしろとかそういうことじゃなくて、車椅子を使っている人が駅員さんにお願いをするなんてことを"わざわざ"しないといけないなら、それはバリアフリーとしては不十分なのではないですか、ということ。

結局エレベーターも整備されて、多目的トイレも設置されて、車椅子を使う人が電車の利用がしやすくなったとか言っても、それは作ってる側の思ってることであって、本当のところはどうなんだろうなーと思いました。


(もし日頃から電車に乗り降りするたびに駅員さんに感謝の気持ちを伝えてる非車椅子使用者の方がいたらごめんなさい。)
逃げるのか、踏ん張るのか、踏ん張って折れるのか

どうなるのかなんて分からないのだ