先日台湾に旅行に行っていたのですが、その間に安保法案が可決されたようでした。世の中って動き続けてるんですね。
今更ですが、この集団的自衛権を内容に含む法案を巡る動きについて、私なりに思うところがあったので書いていこうと思います。
先に言い訳をしておきますと、私は法学部でもなければ、憲法成立の云々に関する知識があるわけでもありません。この法案成立を巡る動きをなんとなくメディアを通して追ってきただけなので、"考えたこと"ではなく"思ったこと"としていますし、間違って理解しているところがあるかもしれません。間違えていたらちゃんと勉強しようと思うので、教えて頂けたらと思います。
"法案成立を巡る動き"の代表格といえばSEALDsの運動があるのではないかと思います。
若い人たちが集まって活発に運動しているようですが、私個人としてはあまりSEALDsのことをよく思っていません。
理由はいくつかありますが、ひとつ挙げるとしたら「デモの参加者は法案に反対する資格があるのか?」という疑問があることです。
デモの参加者は2014年12月14日の衆議院議員選挙にきちんと投票に行ったのだろうか。主権は国民にあると主張する前に、彼らはその与えられた権利をきちんと行使したのだろうか。全員がきちんと投票に行って、自民党以外の党に投票していたらもっと違う結果になっていたんじゃないかと思います。(選挙権がなかったら仕方ないと言う他ありませんが。)
やることやらないで、自分の気に入らないことが起こったら駄々をこねるというのは、成人がすることじゃないんじゃないかな、と。
また、先日ホリエモンさんが書いた「私がSEALDsをdisる理由」というブログ記事がFacebookのタイムラインに流れてきたので読んで見たところ、大変共感する一文がありました。
「アメリカ人が死ぬのか日本人が死ぬのかって話で、それってアメリカ人だったらいいの?そうじゃなくて応分の分担は必要だよねって事だ。」
命の重さに国籍は関係ないのですから、日本だけ首を横に振り続けることは現実的に難しいことなのだろうと思います。国際政治的なリアリティーがないというか。うーん、うまく言えないですが。
次に、集団的自衛権そのものについてです。
SEALDsの活動については疑問に思うことが様々ありますが、集団的自衛権そのものについても、実はあまりよく思っていません。
数年前にもFacebookか何かで同じようなことを書きましたが、日本は戦争をすべきじゃない。というか人間は戦争をすべきじゃない。極端ですが、そう考えているからです。
堀江さんの記事に戻りますが、「アメリカ人が死ぬのか日本人が死ぬのかって話で、それってアメリカ人だったらいいの?」という問いに対しては、私は別の返答をしたいと思います。「いやそうじゃない」と。本当は日本人でもアメリカ人でもどこの国の人でも良くない。命の重さはどんな人でも変わらないのだから、いかなる理由があろうともそれを奪われるようなことはあってはなりません。だから戦争は認めるべきではない。
他の国が戦争をしてるから、日本も。ではなくて、日本がしてないんだから、他の国もしないことにしよう。なんて、なかなかならないんだろうとは思うけど、本当はそうあってほしい。
日本は戦争や軍隊を毛嫌いする人の割合が多い珍しい国だそうです。そんな国だからこそ、もしかしたら戦争を無くす(きっかけを作る)力を持っているかもしれないのに、そんな日本が戦争を暗に認めるような法案を作成していいのだろうかと。
これは理想論であることは重々自覚しているので、現実的なことを考えるとやっぱり集団的自衛権を認めるというのが合理的?なのかなぁという風に思わないこともないのですが。
大変まとまりのない文章になってしまいましたが、結局何が言いたいのかというと、①SEALDsの運動に共感はしない、②集団的自衛権には根本的には反対、②だけど仕方ないのかなと思うこともある、というようなことを思っていました、ということです。
不勉強極まりない立場で、このような話題に口出しするのも大変烏滸がましいことではありますが、目を通していただけたら幸いです。
長くなりましたが以上です。