思えば、最初に自律神経の調子を崩したのは

よーく考えたら

20歳の頃だったと思う


その頃 私は

小さい頃からの夢だった 幼稚園教諭への道に向かって勉強中の学生。


その学校が

公立で、とても厳しく

朝から夕方まで詰め込み式授業と

放課後まで、併設の施設(今の養護学校、特別支援学校)への奉仕活動や、実習があって


ある夏の暑い休日、

お休みを返上してのボランティア活動で

難病のお子さん達をつれて

介護しながら車椅子やベッドを押しながら

イベント会場に連れてまわる


といった日がありました。



私が担当したのが

筋ジストロフィーの小学校6年生の

可愛い男の子。

すでに 自ら歩く事もできず

トイレにも行けず

話すことすら、筋力が弱って辛そうな子でした。


無事にボランティア終わって

翌日、

容態が急変して亡くなったと連絡があり


私はその夜


今から思えばパニック発作?


息が吸えない

血が引く感じ

天井が落ちてきそうな圧迫感

動悸

頻脈の割に 真っ青な顔


死んじゃうんじゃないか!の症状が出て

夜中の大病院の救急に

タクシーで行きました。


点滴して、一晩泊まって

たぶん数日の安定剤をもらって帰宅。



すっかり忘れてましたが、そんなことがあった私です。



結婚して

次の年に妊娠したものの、なぜか

滴状類乾癬という自己免疫疾患を発症して

散々、産婦人科医に脅され


やっと生まれた子どもは2歳の時から

命に関わる病気だと脅され


実の母は長患いで亡くなりましたが

脳腫瘍で、4回の開頭手術をしたり


60年ほど生きていたら


自分の中で

消化できない、予想を超えてくる

とんでもない事が起こる事がたくさんありました。



楽天的では居られないほどの

悪い結果が受け止められず

病気の引き金を引いてしまったのではないでしょうか?


世の中には

もっともっともっと大変な思いをされている方はたくさんいらっしゃるはずなのでしょうが


やはり、生死に関わるもの

一番ダメで弱いです。



もしかしたら〇〇かもしれない!

と、自分でうっすらと予想した悪い方を

更に簡単に超えてくるような事態に

非常に弱い😱😱😱


弱った心身に

優しい顔してやってきた抗不安薬。


救ってもらったのだけど…



なんで25年も飲み続けなきゃならなくなった?



ゴールって どこなんでしょう



まずは

夜の薬だけにすること。


これが今のゴールかな?




今日は財布にたまりにたまったレシートの整理をして、2週間くらいサボっていた家計簿をつけた❣️散歩して運動した❣️早くも晩御飯の準備を終えた❗️


そして、半錠の薬を0.01削って飲んだ(きのう)


夜中、寝る前に キューって胸が苦しくなった気もしたけれど、持ち堪えております。

0.01くらいで変わるわけがないのに〜😓

デリケートで困ります。

1錠から半錠へ、1日量が4分の3で

30日。

離脱症状?なんてものは乗り越えたと

信じたい‼️

きっとそうに違いないっ‼️

ご飯も食べる。ドラマも楽しめる

友達と電話で笑っていられる

ちゃんと出来てる‼️




私、頑張ってるぞ💕



それにしても、0.001まで測れる秤⚖️

0.11gを半分にしたつもりが0.06


そこからのちょっと削って0.05💦

え?0.041だったり0.051だったり



秤の誤差がまあまああって、うーん🧐


数字障害か?ってくらい数字が嫌いなので

見るだけでストレス〜⤵️⤵️⤵️



昨日夜から今の体調と気分は

いい時の80%


我慢できる範囲