アニタ・オデイ
ついにアメリカ上陸です(^^;)。
でも、あまりよく知られている名前ではないかもしれませんね。1950年代を中心としたジャズ・ボーカル界では白人女性ボーカルの草分け的存在でしたが、このジャンルどうしてもビリー・ホリディとエラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、カーメン・マクレイといった3大ボーカリスト(4人とも黒人)の知名度が高く、クリス・コナー、ジューン・クリスティ、ローズマリー・クルーニーやアニタなどは次のグループとして見られがちです。
しかし、個人的な嗜好ではアニタが一番ということになります。
彼女の歌唱を表現するのに「洒脱」という言葉がピタリとあてはまります。譜面を正確に再現するという意味でのテクニックだけをみればエラ、サラ、カーメンその他の歌手に比べて明らかに劣ります。しかし、ポピュラー・ミュージックにとってそれは要素の一部に過ぎないのです。音楽の3要素であるリズム、メロディ、ハーモニーのほかに大切な要素「ノリ」が絶対的に必要なのであって、彼女の歌唱には「ノリ」がたっぷりある。
スィング感が抜群でテンポの早い曲ではグイグイのせられるし、バラードは情感たっぷりに歌う。誰もが認める「ディス・イズ・アニタ」と「シングス・ザ・モスト」などを聞いていただければよくわかりますよ。
DVDにもなっている「真夏の夜のジャズ」での「ティー・フォー・ツー」、「スウィート・ジョージア・ブラウン」を聞いていただいてもいいですね。
【年譜】
1919年12月18日 イリノイ州シカゴで生まれる。
※7才のときに扁桃腺を手術で失敗して口蓋垂を切断。ヴィブラートが不可能となる。
1939年 プロ歌手として活動開始。
1941年 ジーン・クルーパ楽団の専属歌手となる。
1944年 スタン・ケントン楽団の専属歌手となる。
※数ヶ月で退団~その後はクラブなどで地味な活動。
アニタが退団した後、ジューン・クリスティ、クリス・コナーを採用。
1952年 ノーマン・グランツに見出され、ヴァーヴレコードに。
※数々の名作を残す。
1958年 ニューポート・ジャズ祭に出演、幅広い層にアピール。
※映画「真夏の夜のジャズ」に2曲。
2006月11月23日 ロサンゼルスの病院で死去、87歳。
【ディスコグラフィー】
1951年 Anita O'Day Specials
1952年 The Lady Is a Tramp
1952年 Anita O'Day Sings Jazz
1953年 Anita O'Day Collates
1954年○An Evening with Anita O'Day
1955年 Songs by Anita
1955年◎This Is Anita
1956年○Pick Yourself Up with Anita O'Day ⇒
1957年◎Anita Sings the Most ⇒
1958年○Anita O'Day Sings the Winners
1958年○At Mr. Kelly's
1959年 Anita O'Day Swings Cole Porter with Billy May
1959年 Cool Heat
1960年 Anita O'Day and Billy May Swing Rodgers and Hart
1960年○Waiter, Make Mine Blues ⇒
1960年 Incomparable!
1960年 I Remember Billie Holiday
1961年○Trav'lin' Light
1961年 All the Sad Young Men
1962年 Time for Two
1962年○Anita O'Day and the Three Sounds
1962年 That Is Anita
1970年 Recorded Live at the Berlin Jazz Festival
1975年○I Get a Kick Out of You
1975年○My Ship
1976年 Anita O'Day Live
1976年 Live at Mingo's
1978年 Angel Eyes
1978年 Mello'day
1979年 Anita O'Day, Live at the City
1981年 Anita O'Day Live in Tokyo
1984年 A Song for You
1989年 In a Mellow Tone
1991年 At Vine St. Live
1991年 I Told Ya I Love Ya: Now Get Out
1993年 Live in Person
1993年 Rules of the Road
1993年 Wave: Live at Ronnie Scott's
1998年 Portrait of a Jazz Singer
1999年 Live in Concert Tokyo 1976
2001年 Live at the City San Francisco 1979
2002年 You Betcha
2002年 Sometimes I'm Happy
2003年 Skylark: Live at Sometime
2006年 Indestructible!
◎=特選。誰もがベストだといっている代表的な2作。わたしもお勧め。
○=次点作。特選より落ちるが秀作。
なお、ジャズのデスコグラフィーって結構難しいんですよ。日本版・アメリカ版Wikiでも出ていなかったので、彼女のオフィシャル・サイト(http://www.anitaoday.com/homepage.html
)やファンサイトをいろいろ巡ってわたしなりのものを作りましたが、抜けているものがあるかもしれません。
アニタのことが詳しく書かれているサイト:http://www.jazztokyo.com/rip/anita_oday/oday.html
※写真を足しました(2/15)。
日本vsオーストラリア(Wカップ最終予選)
2010年のワールド・カップへ出場するための最終予選第4戦が日本のホームである日産スタジアムで行われました。注目度の高い試合なので、みなさんすでに結果くらいはご存じだと思いますが、ちょっと振り返って見ました。
大久保ではなくて松井を左サイドに入れた以外は概ね予想どおりのスターティング・メンバー。出だしから日本のプレスがよく効いて日本が有利に試合を運ぶ。しかし、シュートはすべて枠の外。決定的なチャンスもほんのわずか。両チーム無得点で前半を終了。後半疲れてきたら、このペースでプレスが続くかどうか少し不安な展開。
後半は、イーブンで始まって20分過ぎの遠藤のシュートからやや日本が押してきたが、ゴール前の黄色い壁が高く、分厚いため得点ならず。その後ややオーストラリアのプレッシャーが強くなってきたが、双方互いに譲らず結局0-0で引き分け。交代:松井→大久保、田中→岡崎
予選の最終戦がアウェイのオーストラリア戦なので勝っておきたいところだったが残念。しかし、ゲームとしては久し振りにいいゲームをしたと思った。
これで、日本は2勝2分け(勝ち点8)、オーストラリアは3勝1分け(勝ち点10)でグループ内2位と1位です。2位以内であれば本番出場が決定し、3位でももう一つのグループの3位と戦って勝ち、オセアニアの1位チームと戦って勝てば出場権が得られます。オセアニアは、多分ニュージーランドですから、3位(=アジア枠の5位)でも出場はと確実と見られますが、やはりできれば1位、2位で出場したいところ。
ちなみに日本、オーストラリアのいるグループ1は、ウズベキスタン、バーレーン、カタールを含んだ5チーム。
次(3月28日ホームでバーレーン戦)は取りこぼしのないように絶対に勝ちましょう。
3年ぶりに出会った恋人と
食事をした感じになった。・・・というのはシティちゃんの新譜CD(Lentera Timur)の日本仕様盤「東方のともし火」を買ったからですよ。この日本仕様盤というのは、ジャケット、本体など現地産のものに、帯と日本語解説を加えたものを言います。
伝統路線のこの新譜はちょっと構えて聞き始めたんですが、かの「チンダイ」以降の伝統路線とは何となく一味違う感じです。シティちゃんの新譜を買うこと自体が久し振りなのでそのせいかと思いつつ解説を読むと、今までの伝説路線よりもサウンドが柔らかくなり、ポップなものを多く取り上げている。さらに、シティちゃんの歌い方も今までになくパワーを押さえ込み軽快に歌っている、ということが書いてありなるほどそうだな、と思った次第。
まさに軽快で伝統的なというよりもインドネシアや中国の昔のポップスをアレンジしたものという感じの曲もあり、初めて聞く人にも受け入れやすいと思います。あと、特筆すべきはこのジャケット写真。思わず見つめ合ってしまいます(^^;)。点数をつけるとすると、彼女のはいつも100点なので、今回も100点あげちゃいます。
クララ・ヌネスのところで書いた2月1日発売のDVDも手に入りました。今夜届いたばかりなのでまだ見ていません。
ダーク・エンジェル
今年も花粉症の季節がやってきました。数日前から目がしょぼしょぼい言ってますぅ(泣)。
久し振りにブログネタを一発。
ブログネタ:海外ドラマ、気になるタイトルは?
それは絶対「ダーク・エンジェル」です。
製作総指揮:ジェームズ・キャメロン
主演:ジェシカ・アルバ
とくれば、観られずにはいられないでしょう。特に、ジェシカ・アルバは大ブレークする直前のもので演技はへたくそだけど新鮮でいい。
DVD全部買って、シーズン3を心待ちにしていたんだけど、結局打ち切り。
シーズン1がFOX歴代第1位の記録を打ち立てたのに、あの9・11後では核戦争後の近未来という設定がまずいんじゃないのかという制作者側の「配慮」と放送時間を金曜日のゴールデン・アワーに持ってきてしまったために他のヒット・ドラマのラストシーズンとぴったりぶつかってしまい視聴率が下がってしまったため、打ち切ったようです。
またやってくれないかなぁ。