その日、わたしは朝4時44分に突然目を覚ました。
普段なら目覚め早々に
ネットニュースなんて見ないのに
その日に限ってネットニュースを見て
朝から混乱した。
首里城の火災。
沖縄のシンボルであり、戦後から何度も
建て直されてきたもの。
琉球王国の国交の場所。
修学旅行や観光で、なんとなく行く人も多いと思う。
わたしが、真っ先に気になったことは
首里城にある御嶽。
地元の人や、信仰の深い人は
首里城の御嶽で個人的に祈る。
立ち入り禁止なので中に入るわけではなく
こうして扉の前でお供物をして祈る。
悩みがある人
ただ祈りたい人
様々だけれど、日々祈ることで
精神的にも肉体的にも中庸になり
アストラルの次元ではパラレルが移動する。
だから、首里城の火災を知って
御嶽が心配になった。
正直、首里城正殿たちが焼けてしまっても
ふたたび再建することは確実だと思うから
そこまで心配していなかった。
沖縄の人が祈り、政治的にも影響のある人が動き
必ず再建する。
でも、御嶽は心の拠り所だ。
再建の問題ではない。
沖縄には、こうした御嶽が数多く存在する。
わたし自身も、先日の沖縄は御嶽をまわった。
その場に行くから分かることがある。
その場だから、感じることがある。
写真を見る限り
御嶽は焼けずに残っている。
ああ、よかった。。
涙が出るほど嬉しい。
ーーーーー
今回の首里城の火災を通して
しみじみ思った。
大切なモノは必ず残る。
何年も残る。
必要だと感じる人が存在している限り。
逆に、乱雑なモノ
粗雑なモノ
もう、必要ではないものは
消えていく。
それは、「もう要らない!」って意識して
手放すのではなく
気付いたら、もうそこには無い。
いつの間にか無くなっている。
そんな感じ。
☆
今年の始め、とある経営者Aさんの相談に乗った。
今後も一緒にビジネスをしていく必要があるか
今後どうなっていくか。
「この人(Bさん)を見てほしい」って。
よっぽど大変な目に遭っていたんだろうな。
未来のことだし、Aさんのことは
Aさん自身が一番わかっているはずだけれど
わたしは、リーディングした。
つまり霊視。
見えた未来は、
Bさんから人が去っていく未来。
Bさんが傲慢になっていて
「なんでも知っている」
「博識だ」
「すべて技術だ」
と、天狗になっている未来。
Aさんが今後もBさんと一緒に
ビジネスをするかどうかは
知らないけれど
わたしなりの意見を伝えた。
「年末にはBさんから人が離れていくよ」って。
それが今年のはじめ。
鑑定では改善点も伝えるけれど
今後どうしていくのかは、その人自身の決断。
そして、今日
Aさんから連絡があり
「Bさんからどんどん人が離れていってます」と。
(AさんはBさんとはすでに離れていたそうだ)
本質は無くならない。
だけど、自分よがりな考え方や
「すべて知っている」という傲慢さ
自分の未熟さを認められないものは
消えていく。
傲慢というよりも
「自信があるっていうことじゃないの?」
と思うかもしれないけれど
自信なのか傲慢なのか
その違いは
感覚を鋭く磨いていけば
直感で気づく。
「あれ?なんか変だぞ?」って。
「あの人嫌い」
「あの人苦手」
「あの人ムカつく」
そんなレベルの話しではなくて。
「なんか違うんだよな……」
という直感。
感覚。感性。
感じる力。
見抜く力。
日々、忙しさにかまけて
時間が無い…と嘆く前に
自分のために少しでもいいから「空(くう)」になり
時間を作って感覚を鋭くしていけば
違和感という直感に必ず気づく。
身体が感じる。
感じた方に進めばいい。
☆
首里城の御嶽のように
建物が全焼しても必ず大切なモノは残る。
本質は愛される。
「知ったつもり」が一番怖いこと。
だから、人間いつまでも未熟。
未熟を認めた人は強い。
目に見えるものだけではなく
目に見えないものからも私たちは守られている。
日頃、どれだけ目に見えないものへ
尊い気持ちを馳せているか。
そんな時間を過ごしているのか。
わたしも益々祈りへの意欲が湧きました。
次回沖縄に行ったときは
首里城の御嶽でお祈りしてきます。