2020年 (148-3) ガレットランチ/氷室神社/ならまち案内所/崇道天皇社24Mar13 | 容子のふんわり行きましょ

容子のふんわり行きましょ

もとトークばらの山下容子です。2000年から2015年まで『ふんわり行きましょ』というホームページを持っていました。

*** めちゃ大きなガレット ***

 

 

肩の凝らないフランス料理のお店ムッシュペペでお昼ごはん(お客さんの8割以上は主に欧米系のインバウンドさんでした)ガレットをお願いしたらめちゃ大きくてビックリ(@@)。ブルターニュを旅して『食堂』に入るとこんなのが出てくるのかも。美味しかったです💛

 

テラスで食後のコーヒー飲んでたら(同じテーブルの)アラフィフの男性に話しかけられました。

「日本はどう

「うふふ、私、大阪からよ。先祖代々の日本人(笑)

「これは申しわけない。シンガポールかなと思ったものだから」

「気にしないで。海外や関空でベトナムからとかメキシコとか言われて慣れてるの(^o^)

彼はインドネシア東端のスラバヤから。奥さんも大学生高校娘さんも息子さんもきれいな英語です。海外駐在が長いのかもしれないわね。

 

*** 氷屋さんの神さま ***

 

 

ムッシュペペ東50mの(じつは初めての)氷室神社/公です。奈良国立博物館/公のお向かいなので以前から目にしてるのだけど鹿さんと遊ぶのに忙しくて(^^)なかなかご縁がなかったのね。

 

創建は710年(奈良遷都の年)。氷の献上に関わる3名をお祀りします(献上者=闘鶏稲置大山主命&額田大仲彦命/もらった人=大鷦鷯命)《へぇ(@@)×5》。毎年5月1日の献氷祭には全国から氷屋さんたちが集合するのよ《へぇ(@@)×3》

 

氷室=冬に作った氷を蓄えておく穴蔵。夏まで保存しておくそのノウハウは『さぞかし』だったことでしょう。このお社、いい雰囲気だし、夏は社務所に申し込んでお賽銭を上げるとかき氷をいただけるみたいだし、また来るわね💛

 

/氷室神社=ひむろじんじゃ。闘鶏稲置大山主命=ツゲノイナギオオヤマヌシノミコト(大和の国造のひとり)。国造くにのみやつこ。額田大仲彦命=ヌカタノオオナカツヒコノミコト(応神天皇の息子/仁徳天皇の異母兄弟)。大鷦鷯命オオササギノミコト=仁徳天皇(16代天皇/400年代前半に在位)。献氷祭=けんぴょうさい

 

*** パンフもらって行先変更 ***


京終・紀寺街歩きマップ

 

初めは興福寺を抜けならまち歩きのつもりだったのね。でも、神社の目の前にバス停があったので《南から周ろ(氷室神社・国立博物館(停)/奈良交通市内循環)。田中町で降りたら案内所を見つけました鹿の舟=奈良町南観光案内所)

 

《パンフあるやんふーん、なになに、京終・紀寺。ならまちの南ね。知らんトコやし今日は奈良町やめてそっち行こ》。バスに乗ったのもそうだけど私の小旅はいつもこんなふうなの(^^)

 

/杉玉すぎだま(酒蔵の軒先でよく見ます)。田中町=たなかちょう。京終=きょうばて。紀寺=きでら

 

*** 悲劇の井上皇后 ***

 

/()井上皇后の解説&コミック/

 

おすすめコースを逆にたどって(鹿の舟⇒京終駅)まずはお隣りの井上神社へ。このお社は井上皇后と(彼女の息子)他戸親王をお祀りします。彼女は夫の光仁天皇を呪ったという無実の罪で幽閉され、暗殺されちゃうのね。親王も同じ運命。

 

その後天変地異や人死にが相次ぎ、2人の怨霊のせいだと噂が立っちゃうの。光仁天皇は霊安寺と御霊神社/公を建てて彼女の霊をお祀りするのだけど、祟りは次の桓武天皇の時代まで続いたと伝わります。この井上神社もその流れというワケ。

 

/井上神社=いがみじんじゃ。井上皇后=いのえこうごう/いがみこうごう(717-775/光仁天皇の皇后/聖武天皇の娘)。井上内親王=御祭神の時は皇后でなく内親王のようね(皇后位を剥奪されたから)。他戸親王=おさべしんのう(761-775/光仁天皇と井上皇后の息子)。光仁天皇こうにんてんのう(709-782/49代天皇)。聖武天皇しょうむてんのう(701-756/45代天皇)。桓武天皇かんむてんのう(737-806/50代天皇/光仁天皇の息子)。霊安寺=りょうあんじ(廃寺/@奈良県五條市)。御霊神社=ごりょうじんじゃ(五條市)

 

*** 祟りを怖れて ***

 

 

次の崇道天皇社/公も同じコンセプトでした(じつは菅原道真さんの天満宮も同じです)。御祭神は早良親王。高僧だった彼は桓武天皇が即位した時に還俗して皇太子になります。でも、無実の罪で淡路島に送られ、絶食で抗議したため途中で亡くなるの。

 

そのあと次の皇太子や桓武天皇のお妃3人が病気になったり死んだり、疫病が流行したり洪水が起こったりで、早良親王の怨霊のしわざと怖れられるのね。天皇は早良親王に崇道天皇の名を送り、淡路島にあった御陵を奈良に移します(怨霊から逃れるために平安京に遷都したとも考えられてるのよ)

 

ね、井上皇后と同じパターンでしょ 今回井上神社と崇道天皇社を続けてお参りしたおかげで、奈良⇒平安時代の人々の気分が少~しわかった気がしました。

 

/崇道天皇社=すどうてんのうしゃ(創建806年)。早良親王=さわらしんのう(750-785/光仁天皇の息子/桓武天皇の弟)。還俗=げんぞく(僧が俗世間に戻ること)。崇道天皇=歴代天皇には数えられません

 

私のお勉強に付き合ってもらってごめんなさい&感謝💛 次回は怨霊の里から脱出。奈良駅のせんとくんと記念撮影したりで(笑)大阪に戻ります。

 

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