今朝10時過ぎに
親戚から
思いもよらぬ衝撃の連絡が
お父さんが
脳梗塞で
動けないと・・・
まさかの事態に
頭が真っ白に
状況を飲み込めず・・・
意識は?
状態は?
「会話は出来るけれど
歩く事が出来ない」と・・・
どうしよぅ
いますぐ
行かなきゃ
ただただ・・・
どうしよぅ
そればかりが
頭を駆け巡る
まさか・・・
悪い事も頭をよぎる
大丈夫だよね
きっと大丈夫だよね
祈る気持ちが
また私を
慌てさせる
不安にかられて
すぐに家を
飛び出したい気持ちで
右往左往してしまう私
まずは旦那様に
電話しなきゃ
会議中だった旦那様
何度も
電話をかけてくる私を
不思議に思って
ようやく電話が繋がった
『どうした?
何かあったのか?』
「お父さんが
お父さんが・・・
脳梗塞で倒れたって
どうしよぅ」
込み上げる涙で
震える声
ただならぬ私の状況を
冷静に察知して
『会議すぐ終わらせるから
落ち着いて
そのまま家で待ってて
すぐに電話掛け直すから』
と・・・
落ち着かなきゃ
すべき事を
整理しなきゃ
今週末は
乳腺外科と
形成外科の
通院日
タモキシフェンの
お薬が切れる
まず病院に
お薬だけでも
貰いに
行かなきゃ・・・
簡単に
往復できる距離ではないし
状況が予想出来ない以上
長く留守にする事を
まずは考えて
スーツケースに
着替えや薬を
詰め込んで
最短距離を検索するも・・・
山形で
独りで住む
父の元へと
駆け付けるには
家から千歳空港まで
高速でも車で40分
14時過ぎに家を出発
札幌千歳15:20発
仙台空港16:40着
仙台空港アクセス線で
電車に飛び乗って
16:54発で
仙台駅着17:22
仙台駅から17:28発
山形駅着18:30
バスで1時間で到着
山形駅から車で30分
ようやく病院へ
どんなに急いでも
5時間は
かかってしまう
それでも早く行かなくちゃ
気持ちだけが
焦ってしまう・・・
少し冷静になれたところで
検査の合間に
父と電話で
話す事が出来た
ちゃんと話せてるし
応対や会話もスムーズ
違和感も
感じられない様子に
少しだけ安心
そして旦那様からも電話が
「すぐ家に戻るから
空港まで乗せていくから
荷造りして待ってて」
『うん
でも・・・薬だけもらいに
病院行ってくる』
「じゃ~
薬もらって
帰る頃に電話して
飛行機の
チケット手配しておくから」
パニックになる私を
なだめて
落ち着かせてくれる旦那様
病院に電話をして
諸事情を話し
急いで病院へ駆け込み
薬も
1ヶ月分処方してもらい
形成外科も
前倒しで診察してもらい
それでも1時間半で終了
年末にあった時の父は
いつも通りの
変わらぬ
優しい笑顔で
冗談交じりの
オヤジギャグで
娘と私を
笑わせてくれて
元気だった父
いつまでも
元気で
長生きを
してくれると
思っていたのに
飛行機のフライト中に
ブログの文字を
打ち込みながら
込み上げる気持ちを
堪えても
溢れてくる涙・・・
ふいてもふいても
涙が流れてしまう
そばにいたら
もっと早く
気が付いて
あげられたのに
ゴメンネ
お父さん
やっぱり
一緒に暮らそう
って・・・
もっともっと
強く言えば
こんな事には
と・・・
考えてしまう
過ぎ去った事を
後悔するよりも
今すべき事
まずは
これからが大事
朝から
何も喉を通らない
高速バスに揺られながら
何度も何度も
時計を見てしまう
明るくて
優しくて
いつも穏やかで
頑張り屋で
無理し過ぎる
所もあって
我慢強い
きっと症状も
あっただろうに
そんな
父の姿を
思い浮かべ
考えるだけで
また自然に
涙が込み上げる
まだまだ
親孝行も
足りないし
好きな事を
させてもらって
病気になって
心配もかけて
親不孝な娘で
本当にゴメンネ
そんな事を考えながら
ようやく
病院に到着
ベッド辛そうに
点滴をされている父
それでも
笑顔を見せながら
父は私に
「遠くから
わざわざ大変だっけなぁ~
難儀掛けだなぁ~
旅費掛けで
ありがどなぁ~
パパにも
ちゃんと断って
来てけだんだがぁ~?
心配かげだなぁ~
われっけなぁ~」
って・・・
山形なまりで
何度も何度も
ツライ表情を見せぬよう
誤魔化しながら
「お父さん
とうとう歩行困難に
なりました
もぉ~
車椅子生活かもしれない」
って・・・
明るく言う父
涙流す
私の泣き顔を見せぬように
背を向けて
バレないように
入院の申し込みを
記入しながら
大丈夫だから
ちゃんと治療すれば
大丈夫なんだから
今日は
ゆっくり休んでね
また明日朝から来るからね
って・・・
気持ち悪そうで
ツライ顔も見せるので
今夜は安静に
まずは
点滴で眠れそうなので
消灯前には
帰ってきました
明日は
今日よりも
体調回復して
元気に
なれますように
この
願いと祈りが
叶いますように