自民党大阪市議団、質問時間が余ったため議場で大阪市歌熱唱されたそうな。
すごいな、驚いた。
貴重な質問時間を議場での歌に充てるか。うた歌うくらいなら議場ではなんぼでも聞くことも話すこともあろうに。
大阪市内は国家・校歌に加えて大阪市歌を斉唱します。
私は通った小中学は大阪市内ではなく、当時、自治体の歌など歌っていません。
市歌・町歌斉唱の有無は「故郷に愛情」の多寡に牽連性などありません。
ちなみに市内の式典ではたまに保護者がざわつきます。そんな歌知らんがな的な。
校歌、国歌だけでええやろ的な。
もちろん私は大阪市歌は大好きです。大声で歌います。
しかし、それと適正規模の自治体運営の議論はまったく次元が違います。
同じ俎上で議場にて発言することにとてつもない違和感を感じます。
違和感の根源はなんなのか
さて、今回はちょっと余談。
ちょっと違和感の根源について考えてみます。
法定協議会においても感じ続けた強烈な違和感。
そして自民党市議団の根幹にあるもの。と私が考えているもの。
先方と「ああそれだ」と納得しあったわけではないです。以下個人的な感覚です。あくまで。
いまさら敢えて記載するまでもないことですが、やはり「政令市である大阪市絶対主義」かと思ってます。
政令市はすごい、住民サービスはパーフェクト、近隣市町村など目じゃない。
橋下知事、維新誕生前の大阪の惨憺たる状況を見てどうして「大きすぎる基礎自治体の課題を探求しよう」という気持ちにならないのか不思議でしょうがないですが、とにかく「政令市である大阪市」が絶対主義です。
ちなみにこの方々にとって「大阪市民」は「大阪府民」ではない。
大阪府民は大阪市を除く市町村の住民のことであり、自分たちは大阪府民という感覚に欠けています。
政令市という行政圏域を妄信して経済も物流もすべてこの区切りで思考しているが故に、
①経済規模がオーバーフローしているものの行政区域が成長戦略の調整を阻害していることに気づかない
②大規模な人口を抱えたがゆえに非効率性(混雑コスト・広域との二重行政)が発生していることに気づかない
①経済のオーバーフロー
経済圏域はすでに大阪市域を大きくはみ出し成長を続けています。
政令市の区域で思考にこだわることに何の意味もない。
現にいま現在も大阪市はその基礎自治体たる役割を超え、大阪府域の成長を通じて市民が利益を享受する事業を担っています。
政令市・特別区という役割に関係なく、都市の役割として担っているものがあります。
行政圏域や制度を妄信しているが故の二重負担論、市民が損をする論です。
その制度変更により直ちに住民が不利益を受けることなどあるわけがない。
①-2 物流・インフラにおける行政間の弊害
行政区域を跨ぐがゆえに費用負担の面で一向に折り合いがつかなかった都市インフラ。
本社機能をおく理由の大きな一つが物流・交通の利便性です。
この点において大阪はそのチャンスを大きく棄損し続けました。
②住民が気づけなかった二重行政
いわずもがな。
規模が大きすぎて自分たちの税金がどこにどのように使われるのかについて適正なチェックができてこなかった。
非効率な大規模投資も膨らみすぎだ社会保障扶助費も、「福利厚生の満足度を最高点に維持しながら効率化」するという認識に欠けた。
規模の経済で全体最適、かつ適正規模の基礎自治体で最適な住民負担コストを実現し、経済成長のもと圏域のさらなる福利厚生を目指す。
そしてその余地があることを行政区割りに囚われることなく、「政令市大阪市絶対主義」に囚われることなく課題に向き合う。
私が勝手に感じている「都構想絶対反対派」の方々には上記の点について思考停止になっているように感じます。恐れながら。
大阪市は素晴らしい街です。自治体として職員もみなさん大変優秀です。
しかし過去の大阪の様々な課題に目をそらすわけにはいきません。
職員にも議会にも住民にも、人に罪はない。制度に課題がある。
だからこそ府と特別区の最適な案を模索し続けていいます。
30年後のこの町にすむ人たちに、1円でも多くの行政サービスを届ける。
議場で大阪市歌を斉唱する前に、将来を見据えた建設的な議論を自民党市議団には求めます。
法定協報告とは別の余談、個人的感想でした。