木村拓也 | 横山歯科医院

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木村拓也

(Wikipedia)


木村 拓也(1972年4月15日~2010年4月7日)は、宮崎県宮崎市出身の
元プロ野球選手(内野手)。
愛称はキムタク。
現役時代はユーティリティープレイヤーとして活躍。
引退後は読売ジャイアンツの内野守備走塁コーチに就任したが、クモ膜下
出血のためシーズン中に急逝した。


<2009年9月4日、対ヤクルト17回戦>
2009年9月4日、東京ドームで行われた対東京ヤクルトスワローズ17回戦。
巨人の先発はセス・グライシンガーのため、相性を考慮して先発捕手は鶴岡
一成、正捕手の阿部慎之助は一塁手として先発出場した。
試合は両チーム同点のまま延長11回裏に突入すると、最後の控え捕手である
加藤健が打席に入った。
しかし、加藤が頭部死球によって退場、途中交代するという不測の事態が発生
した。
阿部と鶴岡はいずれも途中交代していたため、次の12回表を守る捕手がいなく
なってしまった。

この時に白羽の矢が立ったのが、広島在籍時に捕手経験があった木村である。
原辰徳は捕手起用のために木村を探したが、加藤が退場する前から出番を
感じた木村は、捕り慣れていない変化球を捕球する練習をブルペンで行って
いたという。
木村は、何時でも、どのポジションでも出られるように5種類のグラブ
(一塁手用、二塁手・遊撃手兼用、二塁手・遊撃手兼用予備、三塁手用、
外野手用)を常に持ち歩いていたが、捕手用のミットは持っていなかった
ため、「1番柔らかかったから」として鶴岡のミットを、チェスト
プロテクターやレガースなどはブルペン捕手からそれぞれ借りたという
「急造捕手」としてグラウンドへ出た。

その時の事を原は「(木村に)逃げられたと思った」とコメントした。

本人も試合直後に「突貫工事」と振り返るほどだったが、12回表に救援登板
した豊田清・藤田宗一・野間口貴彦とサイン交換をしっかり行い、野間口には
最後に左打者の内角をえぐる150km/h台の速球を放らせるなど、アグレッシブ
な配球を要求しながらも、3投手・自身ともミスを犯すことなく無失点で
切り抜けることに成功し、その役割を見事に果たした。
原はベンチを飛び出し、戻ってきた「捕手・木村拓」の肩を何度も叩いて
活躍を讃えた。

当日の試合で解説を担当した広島時代の恩師・山本浩二は「涙が出そうに
なった」と言った。

直後のテレビ番組でのインタビューでは「(捕手は)もうやりたくない」と
吐露したが、広島在籍時の監督である達川光男は、木村の性格からこの発言を
「本職の捕手を立てるための気配り」と分析して賞賛した。


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[連想コラム2](17/23)
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