今年から新たに制定された祝日になった「山の日」。8月11日は全国各地の山で自然を楽しむ人で賑わったそうです。われら「時をかけるヨコハマ」も、「山の日」にふさわしい活動をしなくては、名がすたる!!(何の?)

と言うことで、山登りの達人のリーダーを先頭に、「武相尾根を辿る」ツアーを敢行しました。

現在の横浜市金沢区は相模国と武蔵国の国境付近に位置していました。鎌倉時代には北条一族が統治し、鎌倉幕府の重要拠点として栄えていました。金沢区は横浜の中では鎌倉の影響を強く受けている場所です。また金沢文庫駅から金沢八景駅の一帯は、風光明媚な名所として知られており、安藤広重が浮世絵に描いています。

 

かつての金沢の名残を探しに、鎌倉駅から出発しました。

朝10時前だというのに、鎌倉駅や小町通りは観光客で混雑していました。

「暑いのに朝から元気だなあ」と思いながら、改装できれいになった段葛を歩いて鶴岡八幡宮に向かいました。

八幡宮で、今回のツアーの成功祈願をしてから、鎌倉幕府の名残を残す石碑をたどりながら、道を進んでいきます。

 

 

鎌倉駅~段葛~鶴岡八幡宮~源頼朝の墓~荏柄天神~鎌倉宮~瑞泉寺と言うルートで歩きました。石碑の横に、地元の小学生が作成した説明書が展示してあり、石碑の内容が分からなくても、説明書のおかげで内容が理解できました。小学生の皆さん、ありがとう!!

石碑を辿りながら、鎌倉幕府の名残を探してみましたが、ほとんど宅地化されていて、面影が残っていません。鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓が裏山にひっそりとあり、訪れる人も多くないようでした。歴史上有名な人物であるのに、質素な印象でした。

 

瑞泉寺手前を折れると、「天園ハイキングコース」の入り口が見えてきました。

ここからが今回のツアーのメインルートです。どのような険しい山道を待ち受けているのかどきどきしながら、森の中を歩いていきました。

 

市街地とはうって変わって、森の中は、涼しい風が吹いて心地よくひんやりとしていました。ほんの数分前は蒸し暑かったのがうそのようです。気温が1度~2度程違ったのではないでしょうか。先程まで、暑さで重かった足取りが軽くなり、皆の歩くスピードが早くなっていきます。ハイキングコースの途中で、風化したお地蔵様を見かけました。「貝吹地蔵」と呼ばれるお地蔵様です。鎌倉幕府が滅び、逃げていく武士達を、ほら貝を吹いて助けたという話が伝わっています。きれいな菊の花が供えられていました。ハイキングをする人が供えていったのでしょう。風雨で表面が削り取られ、どんな顔をしているのか分かりませんでしたが、目を細めて微笑んでいる表情をしていたのだと思いました。

 

岩山をよじ登っていくと一気に視界が開けて海が見えてきました。鎌倉の町が海岸に沿って扇状に広がり、江の島が遠くに見えました。光が反射して海がキラキラ輝き、まぶしかったです。意外と鎌倉が小さい事に驚きました。道を進んでいくと「天園」に到着。

鎌倉市と横浜市の境界にある地点です。夏らしい青空が広がり、相模湾が見えます。目の前に広がる風景を見て、随分歩いてきたと実感しました。

そして、近くにある「横浜市最高地点」の案内板を確認しました。横浜市の最高地点は、「横浜市栄区上郷町」になります。標高は159.9メートル。一帯は、円海山を中心に幾つかの市民の森が広がる地域です。場所によっては、ランドマークが見えるという絶景スポットなのです。(残念ながら当日は、ランドマークは見えませんでした。)

 

いよいよ横浜市に入り、横浜自然の森へ向かいます。森の中に入ると、ヒグラシの鳴き声があちこちから聞こえ、季節が晩夏になった気分になりました。10分ほど歩いて、東屋でお昼を食べる事にしました。風が心地よく、外で食べるご飯はいつもより美味しかったです。隣の席では、ビールやおつまみを片手に真っ赤になっているおじさん達が宴会をしていました。三度の飯よりビールが好きなメンバー達にとっては、羨ましい光景。しかし、ゴールまでは遠いです。後ろ髪を引かれながら、休憩所を後にしました。

 

 

更に歩き続けて、横浜最高峰・標高156.8mの大丸山に到着。眼下には八景島や野島の平潟湾が広がります。遠くは、ぼんやりと房総半島が見えました。大丸山の三角点を確認して、自分達が横浜市で一番高い山にいる事を実感しました。

 

 

今度は、山道を下って氷取沢市民の森から金沢動物園を通っていきました。下っていくうちに、ムワッとした暑さが体にまとわりつき、アブラゼミの鳴き声が耳に飛び込んできました。樹木の下にはシダが生い茂っています。一気にジャングルに迷い込んだ感覚に陥りました。

 

今回のコースの目的地の一つである「能見堂跡」に着きました。

江戸時代に明からきた心越禅師というお坊さんが、故郷の風景を懐かしんで、金沢の八箇所を漢詩に詠んだことから「金沢八景」の場所と名前が広まったそうです。能見堂は、江戸から鎌倉・江の島への観光ルートの一つとして、有名でした。当時の庶民によって「金沢八景根元地」の石碑が建立され、今も残っています。 能見堂跡から、金沢八景の風景を眺めてみました。眼下には、釜利谷、横浜市立大学、金沢八景駅周辺のスーパーなどが見えました。江戸時代は、眼下に広がる市街地は、海の中でした。上から見ると、今よりも海が陸地の奥まで広がっていた事が分かります。野島や金沢八景駅の近くにある瀬戸神社の周辺が、金沢八景の面影を残しています。

 

 

山道を下っていき、ゴールの金沢文庫駅に到着しました。

その後は、汗を流す為に、銭湯に行き、ハイキングの疲れをとりました。

この銭湯は、「赤井温泉」という天然の温泉でした!!

横浜に、温泉が入れる銭湯があるなんて、びっくりしました。(料金は470円と格安!!)

 

 

今回のツアーでずっと頭に浮かんだ文があります。

松尾芭蕉の「夏草や 兵どもの 夢の跡」いう一句。

金沢区は、一般的な横浜のイメージとは違い、人々に愛された景勝地と、防衛の要所としての二面性を持った土地でした。今回のツアーで、その二面性を感じる事が出来たのですが、開発が進んだことにより、どこにでもある町の一つになっている事が残念でたまりません。昔の記憶を少しでも良いから多くの人に伝える事が大切だと思いました。