おはようございます
秀巧金属株式会社のブログです
梅雨に入りましたが、すでに夏日もあり、今年も暑さが厳しくなりそうです。
今回は、東京都心から見た風景を、ご紹介します。
◆ 大手町からの眺め

右側が皇居(旧江戸城)で、左側が東京駅方面になります。
左に見えるお濠が、「和田倉濠(わだくらぼり)」で、和田倉橋も見えています。
この辺りは、和田倉門と呼ばれ、江戸城の東側になります。
◆ 和田倉門

和田倉門は、1620年に伊達政宗によって築造されたそうです。
江戸時代は、武士のみが通れる門として使用され、現在は石垣と木橋風のコンクリートの橋があります。
遠くのビル群は、永田町方面です。雨の中、警視庁や国会議事堂の頭の部分が、かすかに見えます。
◆ 巽櫓

櫓が見えます。
巽櫓(たつみやぐら)または、桜田二重櫓と呼ばれています。
江戸城で、江戸時代から残っている櫓は、三基だそうで、一般の人が近づけて見学できる櫓は、ここだけだそうです。
◆ 皇居前広場

皇居前広場は、本当に広いですね。
約20万平方メートルもあるそうです。
災害時の避難場所にも指定され、10万人が、収容できるとのことです。いざという時の、大切な場所です。
◆ 左に目をやると

工事している。
あれ!と思いました。
在るべきものが、無い⁇ 調べました。
やはり、東京海上ビルディングが無い!
あの、「Gメン75」に出てきた、茶色のビルが無いのです。
(※ 「Gメン75」とは→TBS系列で、1975年から1982年まで放送された、連続アクションドラマです。丹波哲郎さんや夏木陽介さん、藤田美保子さんなどが出演してました。正に、「ザ・昭和」のドラマでしたね。)
いや~、いつの間にか、解体されていたんですね。無くなっていました。
その昔、丸の内や大手町周辺には、高いビルといえば、東京海上ビルディングだけで、あの茶色いビルだけが、そそり立って、目立っていたのです。
2022年に、解体工事が始まったそうです。ビルの竣工は、1974年なので、築50年近く経っていたのですね。
◆ 夜の風景です

高層ビル群の、夜景が綺麗です。
以前は、この辺りの建物は、戦前からの高さ規制がありました。そのため、制限ギリギリの31メートル程の、同じ高さのビルが、美しく並んでいました。
また、東京駅を取り囲むように、東京中央郵便局、丸ビルと新丸ビル、そして国鉄本社ビルがありました。
それらのビル群は、東京駅を中心に、行幸通りを挟んで、左右対称になっていたんです。
丸ビルが建て替えられたのが、2002年ですから、そのあたりからでしょうか。高層ビルが一気に増え、街の景観が変わりだしたのは。
◆ 東京タワーが見えます

東京タワーは、竣工が1958年ですから、もう70年近くになるのですね。
東京タワーは事前に、名称を公募したそうです。最も多かったのが昭和塔で、その次に、日本塔、平和塔などがあったとのことです。
しかし、何故か、全体の1パーセントにも満たない、東京タワーという名称が採用されました。また、正式名称は日本電波塔というそうです。
最近は、東京スカイツリーという、ライバルと競っていますが、まだまだ、昭和世代の現役です。
◆ 丸ビルと新丸ビル

一番左側の大きなビルが、新丸ビルで、間を空けて、向こう側に、丸ビルが建っています。その間に、オレンジ色の少しだけ見えているのが、東京駅です。
この東京駅から、丸ビルと新丸ビルの間を抜け、皇居に向かう道が、行幸通りです。行幸通りは、皇室行事や、外国大使の馬車列が、東京駅から皇居に向かうときのみ、道路として利用されています。
以前、何度かその馬車の隊列に、出会うことがありました。
また、この通りは、結婚式前撮りのメッカです。夕方や夜にかけて、多くのカップルを見かけました。
東京駅の丸の内側は、長い間の工事も終わり、環境が整ったようで、ものすごく奇麗になりました。






久しぶりに訪れた、大手町や丸の内は、東京海上ビルディングの解体などが示すように、大きく変わっていました。つくづく、時代は流れている、と感じてしまいました。
歌川広重の、「名所江戸百景」という江戸時代の浮世絵があります。
これらを見ると、現在の東京にも、江戸を偲ばせる、地名や場所、伝統行事などが、まだまだ、多く残っていることが分かります。
時代は、常に変化を続けていますが、江戸から東京になっても、変わらずに残るものがあったのです。
はたして…
今の時代に生きる私たちは、これからの時代に、何を残すべきなのが、何を残すことができるのか…。
確かに、都心のビル群は、夜に輝き、眩しく、美しかったのですが。
かじ助
秀巧金属株式会社の、ブログをご覧いただき、ありがとうございました。