批評 | ヨコオタロウの日記
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自分が書けなくとも悲劇をののしることはできる。
自分でテーブルが作れなくても、
悪いテーブルを作ったといって大工を叱ることが出来るであろう。
テーブルを作るのが自分の仕事ではないのだから。

/ サミュエル・ジョンソン



雨で帰れないです。



物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか
http://masuda.livedoor.biz/archives/51305829.html

「モノを作れない人は批評してはいけないのか?」
という面白い問題提起。

思う事をイロイロ書いてみる。



僕の答えは「むしろ、モノを作れない人だからこそ批評しか出来ないのでは?」という意見です。もし、不満があるのなら批評なんかせずに自分で作ればいい。それが出来ないから、批評するんじゃないんですかね?

たとえば、

ラーメン食って不満なら、ラーメン屋やればいい。
車のデザインが不満なら、自動車会社立ち上げて好きな車を販売すればいい。
アイドルの歌が不満なら、自分がアイドルになって大ヒット飛ばせばいい。

でも、そこまでの事を実現する能力や資金が無かったり、他の事で忙しかったりして開業にコストを使う気にもなれないから「批評」するだけで気を紛らわせているに過ぎないんだと思うんですが。

人間なんでも出来る訳じゃないですから、ほとんどの事は批評して済ますしか無い訳で。



昔、アントニオ猪木が「プロレスは八百長だ」って話をされた時に「じゃあ八百長かどうか教えてやるからオマエかかってこいバカヤロー」的な事を言ったらしいんですよ。そりゃあ無理ですわ。大体、論点がズレてる。

でも、猪木にとっての本当の驚異はそうした批評なんかじゃなくて、猪木自身を凌駕される事だったと思います。それは肉体的に強くなるという事じゃなくて、猪木が築き上げたストーリーのある格闘技(悪く言うと八百長)のビジネスモデルを壊すような存在が現れる事。

つまりK1とか総合格闘みたいな金儲けの方法が生まれた事自体が「プロレスは八百長だ」という事に対する最大の批評(というか攻撃)な訳で。



何言ってるのか判らなくなってきましたが、とにかくみんなが納得するような、本当に核心を貫く究極の批評っていうのは、もはや批評の形態を取らないんじゃないか?と思う訳です。対象を破壊して、乗っ取る、そういうモノな気がします。



いやでもそれはもはや批評ではないから、やっぱりこれは違うな。
うん。違う。

でもまあ、ここまで書いたから上げておこう。



雨があがったっぽい。帰ろう。