それをやりにおれが生まれてきた。そのことだけを考えればよい。
/ アーネスト・ヘミングウェイ
■
お盆とか関係無く、ボンヤリしてたら一週間過ぎた。
■
メアリーブレア展
http://www.ntv.co.jp/mary/
見たい。
でもジブリが絡んでるのか。なんか嫌だ。
■
いろいろ追い詰められてきたので、ヱヴァンゲリヲン 破
2回目見てきました。
・1回目より感動しなかった。
・細かい事をイロイロやってる事に気付いた。
・不完全な部分が見えてきた。
・また泣いた。
何やってるんだ。
■
「河童のクゥと夏休み」を夜中にやっていたので流し見。
「自然と動物は素敵で、主人公グループを除く都会に毒された人間達はイケナイ」という映画。
映画 「俺は正しい事言ってるよな!」
ヨコオ「ある側面からはそうかもね」
映画 「俺は面白いよな?」
ヨコオ「いや面白くないよ?」
映画 「面白いとかそういう事はテーマの前では二の次だよ!」
ヨコオ「あ、そう」
映画 「なんで俺はジブリ映画みたいになれないんだ!」
ヨコオ「面白く無いからじゃない?」
みたいな。
■
以前、某氏と「サウンダーと締め切り」について話をしました。
彼曰く「締め切りを守ってくれる人間的に出来ている人ほど、何故かどうでもイイ毒にも薬にもならない曲ばっかり書く」との事。
よくよく考えれば、作品そのものよりも、作品外の事象(締め切りとかコミュニケーションとか)を重視するような人間はアーティストとしては大成しないのは当たり前なのかもしれない。
たとえば、曲を書いていて納得が出来ない時は締め切りを延ばす。
他人に迷惑をかけまくる。
「そんな事したら次の作品を作るチャンスを逃すじゃないか」
とは思わない。次なんか死んでもいいから、今この作品を納得出来る出来にしたい、という姿勢になってしまう。そういう人の作るモノが素敵なのはある意味当たり前なのかもしれない。
もちろん締め切りを破れば良いものが出来るとは限らないけれど。