目をつむるとね、
みきちゃんのこと
考えるとね、
いつでも会えるんだ。
いつでも会える / 菊田まりこ
■
mixi 足跡の方の日記から辿った記事。
脚折られ?山中放置の雌犬…手術4回、それでも人間が好き
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090529-OYT1T00038.htm
> どうして、コリンは折れた足で山中にいたのか。以前の飼い主
>がコリンを放置したとは考えたくない。犬が後を追って来ないよ
>う、足の骨を折って山に捨てる――以前耳にした、そんな残酷な
>話が頭をよぎる。
絶対に違う。
そうかもしれない、と思う事も苦痛だ。
クソッ。仕事が死ぬほど溜まってるのに、手につかない。
見るんじゃなかった。
クソッ
■
「星守る犬」も名作だけど、(有名な)絵本の
いつでも会える
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4052010558?ie=UTF8&tag=bukkoro-22
これも良い本だった。
■
僕の両親は、犬や猫を飼う事をしない人達だった。
共働きで面倒を見られないこともあったし、祖母が動物を嫌いという事もあったんだと思う。
ガビガビの子猫がウチに来たときも、「可哀想だから飼ってやろう」という僕の意見を却下して、追い払った人達だった。
そんな両親だったけれど、年を取って山の中の小さな家に引退してから猫を飼い始める事になる。名前は「チビ」。アメショーだかの雑種。たしか、ウチの妹が飼おうとしたが途中で投げ出してやむなく引き取ったような形だったと思う。
最初は仕方なく飼っていた両親だった。
だがチビは、動物慣れしていない両親に瞬く間に取り入る。
チビの写真が両親の家にベタベタ貼られまくり、子供なチビはバタバタと家中を駆け巡っていた。あの頃、両親の生活はチビが中心だったように思う。
ある日、チビが車に轢かれた。
一日に車が10台も通らないような山奥の、薄暗い山道で轢かれた。
チビは奇跡的に生きていて、玄関に入り、ウチの母親を「ひゃーん」と呼んだ。
何かを報告するような鳴き声が、チビの最後の言葉だった。
チビが死んでから、両親は毎日チビの事を思っては泣いた。
いわゆるペットロス症候群だったと思う。
僕は「いつでも会える」を贈った。
それを読んだ母親は泣いたと言っていた。
余りのふさぎっぷりを見かねて、母親の知り合いが余っている猫を渡してきた。
結局、3匹の猫が今では実家に居る。
両親が猫を飼った事や、新しい猫が来た事に、何か意味があるのかは僕には良く判らない。3匹はチビの替わりに過ぎないのかもしれないし、そうでない新しい存在なのかもしれない。
ペットを飼うっていうのは、そういう矛盾と妥協と喜びと苦痛が混在する複雑な行為で、その答えは人によって全然違うんだろう。
「星守る犬」や「いつでも会える」は、そうした部分の綺麗なところだけを上手にすくっている気もする(けど表現とはそんなもんだと思う)。