Wanna know how I got these scars?
この傷がどうして付いたか知りたいか?
ダークナイト / ヒース・レジャー
■
金曜日。
もう目につく人と耳にするあらゆる声が「おもしろい」というので映画「ダークナイト」を見に行くんですよ!とささやんさんとKヨタさんに言ったら「いやあ、僕らはそれほどでもなかったなあ。よくできていると思うけど」と言われ微妙なテンションで見に行きました。
以下感想
---------------------------------------------------------------------
「バットマン」という王道テーマに「羊たちの沈黙」的なピカレスクヒーローをブチこんで昨今の北米テレビドラマっぽい素早いひっくり返し感を入れてみたらこうなりました、といった内容。とても面白く飽きさせない。「ビギンズ」よりも圧倒的に良いデキだと思う。
その上、ジョーカーの緻密な設定が素晴らしい。
「ジョーカーが本気を出せば、バットマンなんて序盤で死んでいる」と思わせるようなナナメ上を行く行動力。
バットマンが「秩序」と「非殺」を自らにルール化しているのに対し、ジョーカーは「混沌」と「殺戮」を旨としている。にも関わらず、ジョーカーはバットマンを殺さない。殺そうとしない。バットマンもまた、ジョーカーを殺せない。
ジョーカーは世界を滅ぼそうとしたのではなく、人間の矛盾を引きずり出そうとした存在だった。
その絶望を癒すために、ひたすら暴走をした先にたどり着いたのがバットマンという光であり、バットマンに滅ぼされる事こそがジョーカーにとっては最大の目的になっていく。
だが、ジョーカーは死ねない。
バットマンが手を下さなくても、映画としてはジョーカーは何らかの形で死ぬべきだった。
それが、ぶら下がって笑って終わり。なんじゃそりゃ。
ハービー・デント(検事)がトゥーフェイスになった後、バットマンへの復讐を企てる時の説得力の無さも凄い。
レイチェルを殺されたデントのあの慟哭(無音が最大の絶叫になるあの瞬間の美しさ)を生み出したとは思えない、動機の希薄さ。
あれだけ面白い映画なのに、そういう不完全な部分が混在している不思議な映画だと思う。
結局、こういう事だ。
続編を考えると、ジョーカーは殺せない。
トゥーフェイスも出さないといけない。
バットマンも最悪の悪人にはなりきれず、他人の罪をかぶるだけの煮え切らない終わり方を迎える。
「バットマンという商品」の構造そのものに、バットマンは勝利することができない。
それでもなお、この映画は面白い。
目的を究極化させた二人。
お互いを殺せないという状況。
悲劇の恋人同士のような関係が、この映画を単純な娯楽作品である以上の危うい商品に昇華させた。
尋問室でバットマンに殴られるシーン(バットマンが正義の一線を超えようとする瞬間)で、高笑いをしていたジョーカー。
あれが強がりでなく、本当の歓喜だという事がこの映画の凄いところなんだと思う。