キャッチコピー/信者/転んだ | ヨコオタロウの日記
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言葉は、身勝手で、感情的で、残酷で、ときに無力だ。
/ 朝日新聞



朝日新聞のキャッチはこの後に「それでも私は信じてる」とか続くんですが、逆接表現に入る前に切ってしまった方が問題提起としては美しかったなあ、とか思った。

ただ、他の新聞のキャッチコピーで思い出せるようなモノは最近無い事を考えると、このキャッチコピー自体は「言葉のチカラ」とらやそのものを体現した、とも言える気もするような気もする。キモスル。
ちなみに第二弾はどうしようもない駄作。

うろ覚えですが、スポーツ番組の宣伝か何かで見た「観戦するんじゃない。応援するんだ」というキャッチもテレビ番組のキャッチコピーとしてはイイと思いました。



前回までの話

「ゲームが流行ってる北米に適応するんじゃなくて、衰退しつつある日本の方がゲーム産業の新しい姿。だから、そこに適応していくアイデアが必要なんじゃね?」

ま、ここまでは僕の個人的な妄想です。本当かどうか知りません。
ここからは、僕も怪しいと思っている妄想を書きます。

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ということで「新世代市場の日本で通用するアイデア」が具体的には何か?という事に関してなんですが、特には無いです。

えー

いや、「何が成功事例だったか」は書けるんですよ。
たとえば、mixi の有料ユーザー数とかアイマスの DLC とか Wii の売れ方を見ているとすげえなあ、と思うんです。
ところがそっからソーシャルネットがイケてるとか、アニメ絵の DLC は売れるとかハードに新しい操作性を備えるべしとか、後追いをしても仕方がないと思うんですよね。

だって、それだとそのジャンルが肥大して先鋭化して終了するだけですから。
ちょっとつなぎの文章が思いつかないので、結論だけ書きますが、

僕は今のゲームには「購入体験のデザイン」が不足しているように思うんですよ。
マーケティングで語られる「どういう人がどういう気持ちで買うのか?(買わせるのか?)」じゃなくて、「どういう気持ちの購入者を作っていくのか?」というデザイン。

わかりやすく、例にしてみました。

例:「宗教団体信者は妄信的」という現象があった場合。

  これまで
   →「じゃ、信者にモノを売ればいいんじゃね?」

  これから
   →「じゃ、信者を作ればいいんじゃね?」

わかりづらいよ。

えーと、つまり、

ユーザーさんが「わーっ。ほしいなあ」と思うという事の正体がいったい何なのかを、もっと研究しよう。
その上で「わーっ」と思うに至るどの部分に介入出来るのかを考えていこう、という事です。

今までは「ゲームが面白ければ売れる」とか「宣伝こそが重要だろう」とか「マーケティング(以下略)」という戦略が語られましたが、これからはそれらの戦略が有効な状況自体を作る……

……わーっ。もう何書いてるんだかわかんなくなってきたからもういいです。
文章って難しいなあ、もう!(逆ギレ)



雨で地面が濡れている場所で、自転車で転びました。
そんなに痛くは無いんですが、「転ぶ」という体験がひさしぶりすぎてショックを受けました。

それはさておき、
こういう事でも無いと、雨の新宿を地べたに横たわって真横に見るなんて事はないんだなあと思いました。そういえば、google ストリートビューでも、上を見ると広い空が広がっていて楽しかった。世界は360度なんじゃなくて、全方位だなあとか。

ところで今日は涼しいというか寒いですな。