謙虚さ | ヨコオタロウの日記
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とくに言い訳をしないってこと。
言い訳をしようと思ったら、材料はいくらでもある。
でも、それって自分には何もプラスにならないし、かえって足を引っ張ることになる。

/ 中村俊輔



このまえ取り上げた

要は、勇気がないんでしょ?
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

「不満があるのなら、ナンパすれば?」という意見には同意出来るけれど、
「不満があるのなら、社長になれば?」ってのは、なんか違和感を感じる。

っていう部分。
違和感というか「それは答えの一つに過ぎない気がする」という意味。
なぜそう思うのかをちょっと整理してみた。

というわけで、今日は長いけど一個の項目だけ書きます。
興味の無い人はさようなら。



昔、アントニオ猪木がプロレスを八百長と指摘され

「八百長じゃない事を俺が証明してやるから、いますぐかかってこい」

と、素人だか評論家だかに言っていた事がある。
なにぶん古い話なので記憶がアイマイだけれど。
その話の印象に近い。

素人が猪木に勝とうが負けようが、プロレスが真剣バトルかどうかなんて証明されない。そんなのは関係ない。同じように「ダメな社長が存在する」という事実は「文句を言ってる社員が社長になる」事では改変されない。
それは別の事柄だ。



文句を言われた側が「じゃあお前がやれよ」と言いたくなる気持ちは分かるんだけれど、多くの人達が相互に依存しあう世界でそういう事を言う、という事に自分は違和感を感じてるんだな、多分。

プロレスに不満があっても、プロレスラーになる必要もない。
まずいラーメン屋があっても、ラーメン屋を開業する必要は無い。
社長に不満があるからって、社長になる必要なんか無い。
あたりまえだ。



自分の事に置き換えてみよう。
ゲームを作っていてユーザーさんに「クソゲー」と言われるのは辛い事だけれど、だからといって「おまえが作れよ」とかは思わない。それは提案じゃなくて、コミュニケーションの放棄だ。

今僕が作っているゲームは、僕のモノであると同時に、
スタッフのモノであり、
会社のモノであり、
クライアントさんのモノであり、
クライアントさんの株主のモノであり、
最終的にはユーザーのモノでもある。
ユーザーにとっては「買わない」という人もいるだろうから、そういう人を含めると「全ての人のモノである」という事になる。

「文句があるならお前が○○をやれよ」

という言葉には、前提として「会社は(作品は・プロレスは)俺のもの」という傲慢さがチラチラ見えるから好きじゃない。
僕が好きなのは、文句を言われたら「じゃあどうすればいいんだろう?『俺達』の会社を」と社員と一緒に考えてくれる社長だ。会社が「社会の公器」っていうのは、そういう事なんだと思う。



や、もちろん社員側は「文句を言う前に動ける事はあるんじゃないの?」っていう自問自答するのは正しい。そこに何か回答はあるかもしれないし、そもそも文句ばっかり言っている奴は好かれない。
だから、一番最初のブログの記事には共感出来た。

その上で、

 ・立場を交換する以外でも改善する選択肢はある。
 ・上の立場の人間が下に「じゃあお前がやれ」っていうのはキレてるだけだ。

という事を思いました。
まとめたら、2行で済む話だった。

自分がそうなってしまわないように、心に留めておこう。