成果と労働 その2 | ヨコオタロウの日記
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常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。
/ アインシュタイン



昨日の日記の続き。
★これまでの超要約「『成果』に対して報酬も罰も無ければ、みんながんばらない。」

じゃあ「成果」とやらが何か?というのは曖昧模糊として判りづらい。

「上司に言われた仕事をやっていたんだ。それが『成果』だろ?」
「クライアントへちゃーんと納品出来てるんだから、クソゲーでも『成果』だよ?」

確かにそれも「成果」なんだけれど。
でも、なんか生理的に納得できない。
普通に考えると上司やクライアントのご意向を伺うんじゃなくて「断水しないようにする」「世界陸上の運営をスムーズに行う」「Google よりも使われる検索エンジンを開発する」「おもしろいゲームを作る」だろうと。

もっと簡単に言うと「みんながハッピーになる事をやろう」って事だと思うんですよ。
可能かどうかはさておき、がんばろうと。
じゃあその「みんながハッピー」ってのはどういう事か?
それは、だいたいこんな感じじゃないですか?

・労働者(部下) 「楽しく、楽に仕事が出来る」
・経営者(上司) 「利益を出す」
・顧客(大衆)  「満足度が高い」

バカみたいに簡単。中学生でも判る。こんな結論に二日も必要とは。
日本は資本主義社会だから、この中では「経営者(上司)」が最もコントロール力を持っている訳で、この管理層が上の三つを心がけていれば、労働者の生み出す結論は良い方向に向かうと思うんです。

というわけで、管理層もっとしっかりしろ!
…と、思ってたんです。これまでは。


なんでこんな日記を書いてるのか判らないまま、明日へと続く。