映画『杉原千畝』を観た感想 | 休日に訪れたい横須賀周辺の名所・食事処

休日に訪れたい横須賀周辺の名所・食事処

横須賀在住の横須賀ロランが訪れた横須賀周辺の名所・食事処について、徒然なるままに書いています。

つい先日には、映画『杉原千畝』を観に行ってきた(^-^)
この映画は現在公開中で、まだ映画を観に行かれていない方がこの記事を御覧になられることを考慮して、その主な見どころについては、できるだけネタバレしないように書いていきたいと思うんだけど、一方で、杉原千畝という人物やこの方の功績については御存知の方も多いと思うので、公の史実には触れていきたいと思う。
なお、この『杉原千畝』という映画の詳細については、その公式サイトや・・・・・・

(『杉原千畝 スギハラチウネ』  予告)

(『杉原千畝 スギハラチウネ』  予告2)

予告編を御覧になられたほうが、具体的なイメージが掴みやすいかと思われます♪


まず、この・・・・・・

イメージ 1
イメージ 3
映画『杉原千畝』公式サイトより

杉原千畝という人がどのようなことをしたのかについては、その功績を御存知の方も多いと思うけど、第二次世界大戦下のヨーロッパにおいて多くのユダヤ人にビザを発給し、その命を救ったことから、“日本のシンドラー”とも呼ばれているんだよね♪
「えっ、当時の日本の外交官が大量のビザを発給したってだけの話でしょ?」と思われた方・・・・・・いやいや、この当時の日本および世界をめぐる国際情勢の中で、この行為は明らかな反政府行為なわけだから、自らの職をかけているのはもちろん、当時の日本の同盟国であったナチスドイツからしたら反逆行為なわけであり、しかも、これはこの映画を観てその詳細を知ったんだけど、彼がその行為を行ったのは現在のリトアニアで、そのリトアニアという国は当時、ソビエト連邦の占領統治下といった状況であるうえに、杉原千畝自身、元々ロシア(ソ連)の諜報活動を行っていた中でそういう行為をしているわけだから、ドイツにもロシアにも睨まれることは必至の、まさに命がけの行為だったわけなんだよね~(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」オオオオオッッッ
ただ、この映画では、杉原千畝の対ロシア(ソ連)諜報活動に焦点を当てた書籍を参考にしていることもあってか、そうした点から物語が始まったり、彼の諜報活動と当時の日本政府との関わりや国際情勢分析に多くの場面を割かれていたりしたことが、「それって、彼の功績を語るうえで、そんなに重要?」と、個人的には思ったりもしたし、逆に、彼がユダヤ難民を助けるために大量のビザを発給しようと決意した経緯については意外とあっさりと描かれていたりもして、「むしろ、そうした経緯のほうを熱く描いたほうが、内容に入り込みやすいのになあ」と思ったりもした(; ̄ー ̄A アセアセ


ちなみに、映画を御覧になられた方は気付かれたと思うけど、この『杉原千畝』という映画には“ペルソナ・ノン・グラータ”という副題的なタイトルも付いていて、直訳すると“好ましくない人物”ということにでもなるんだろうけど、国際法の知識が無い方がこの言葉を聞いても、「それって、何じゃらほい?」って話になると思う。
なので、簡単に説明させていただくと、外交官が受け入れ国(当時の国際情勢やリトアニアの国際的地位は非常に微妙なので、あえて派遣国や接受国といった説明は省かせていただきます)で外交官特権を享受できるのは、「あなたを外交官として受け入れることを認めますよ」と認められた(=アグレマン)からであって、逆に、受け入れ国から「あなたを外交官として受け入れることを拒否します」と言われてしまうこともごく稀にあるわけで、この外交官待遇拒否を受けた人物のことを、国際法的な用語で“ペルソナ・ノン・グラータ(persona non grata)”っていうんだよね。
そして、この映画の中では、杉原千畝という人物が、この“ペルソナ・ノン・グラータ”に該当したのは、かつての彼のロシア(ソ連)に対する諜報活動が考慮されてのことだといった感じで描かれているんだけど、日露戦争以降の日本とロシア(ソ連)との関係に鑑みると、当時のロシア(ソ連)の周辺国に派遣されていた日本の外交官というのは、多かれ少なかれ、ロシア(ソ連)に関する情報を探れと政府のほうから命じられていたのではないかと、僕には思われるんだよね・・・・・・なのに、彼だけが“ペルソナ・ノン・グラータ”に該当した理由について、物語の中では、彼が優秀な諜報員だったからだと描かれているわけなんだけど、その点が僕にはどうも腑に落ちなくて・・・・・・どうでもいいことを深読みしてしまい、本当に申し訳ないですm( __ __ )m
あと、唐沢寿明の演じる杉原千畝とロシア人女性が英語で会話している点なども、違和感を感じてしまって・・・・・・きっとロシア語で会話をしていたと考えるのが一般的だし、そうではないにせよ、英語よりも日本語で会話をしていたほうが、まだ現実味があるでしょ・・・・・・英語で演じておいたほうが、国際的な上映の際に通訳がラクだと考えたからなんだろうけど、そうした点はリアリティに欠けていたように思えた。


けれども、今の時期に、いや、今の時期だからこそ、この杉原千畝という人物を描いた映画を公開することには、僕はかなり大きな意義があると思うんだよね~♪
ナチスのユダヤ人迫害・・・・・・これは人類史上、少なくとも近現代史の上では最も有名なジェノサイド(特定集団等の抹消行為)事例だと思うんだけど、そうしたジェノサイドが決してあってはならないのはもちろん、ジェノサイドや戦争からの避難民というのは、どこの国でも受け入れられなくてはならないと、僕は考えている。
ところで、文化論というのは、かなり大きな括りだと3つに分けられると思う。
1つは自文化中心主義(Ethnocentlism)、1つは文化相対主義(Caltural Relativism)、そしてもう1つは普遍的人権主義(Univarsal Humanism)であり、分かりやすくいえば、自文化中心主義とは、自分(達)の文化を基準に物事を見ようとする立場であり、文化相対主義とは、それぞれの文化を対等で尊重すべきものだとし絶対的な基準は存在しないという立場で、普遍的人権主義とは、普遍的な人権が存在するものとして人権を犯す行為は認められないという立場なんだよね・・・・・・そうしたそれぞれの立場に対する批判としては、自文化中心主義に対しては、自分(達)さえ良ければそれで良いのかといった批判、文化相対主義に対しては、特定の基準が存在しないのでは善悪の判断のしようがないという批判、普遍的人権主義に対しては、そもそも普遍的な人権というものが存在するのかといった批判があったりする。
そうしたなか、僕の立場をあえて表明させていただければ、僕自身のベースにあるのは文化相対主義なんだけど、人の生命に関するような問題については普遍的人権主義を採るといった立場で物事を見るようにしていて、例えば、それぞれの立場から人殺しという行為の是非を見ていくと、自文化中心主義では、自分達が繁栄するためなら戦争も辞さず、他集団の人々を殺す行為も正当化されることになるだろうし、文化相対主義では、個々の集団内で殺害行為が行われるような場合にも当該集団の文化的行為として尊重し、他集団は干渉してはならないことになるんだろうけど、こうした人殺しのような行為はいずれの文化でも禁忌行為として普遍性をもって認識されているように思うため、自己の生命が狙われた緊急時の防御策としてやむを得ない場合以外、いかなる場合にも認めるべきではないと僕は考えるんだよね。
なんだか話がややこしくなってしまって申し訳ないんだけど(苦笑)、なぜわざわざ上のようなことを説明していたのかというと、今、アメリカの共和党の大統領選候補者が「イスラム教徒の入国を禁止せよ」と発言して物議を醸しているけど、彼のような人間の根底にある思想こそ自文化中心主義の典型例であり、自分達の国家が主導してイスラム諸国で空爆等を行って原因を作っておきながら、その結果として発生した避難民の受け入れを拒否するというのは、まさに自分達さえ良ければそれで良いと考えていることの証で、避難民の受け入れを拒否したいのであれば、その原因としてのイスラム諸国での空爆等の戦闘行為をやめなければ道理が成り立たない。
安保法案を強引に可決した日本にとっても、決して他人事ではなく、今後海外の戦闘行為に参加するというのであれば、その原因に対する結果として発生した避難民を受け入れなければ、国際社会で責任を果たすことにはならず、自国の繁栄のためなら他国への戦争(侵略)も辞さないと考えていた、あの時代に逆戻りである。
ちょっと話が脱線してしまったように思えるけど、ナチスのユダヤ人迫害といった過去の出来事に関する問題としてではなく、ジェノサイドや戦争からの避難民に対してどう対処すべきかというのは、今の私達に突きつけられている問題でもあるということを認識しておかなければ、こうした映画を観る意義は薄れてしまうように思われる。


それでは、今の時代に、杉原千畝のような外交官が出てくるであろうか・・・・・・まあ、過去の時代以上に、今の時代において官僚になろうとしてなった人間というのは、国益という題目のもとに自分(官僚)達さえ良ければそれで良いと考えている人間ばかりだろうから、自分の職をかけるのはもちろん、自らの命を懸けてまでも避難民達のためにビザを発給するような人間は、まずいないだろうね( ̄▽ ̄;)アハハ
日本の官僚が無能ばかりだというのは、この国の借金額を見ても一目瞭然で、こんなに借金の膨れ上がった民間企業があったら、とっくに倒産しているであろうし、民間企業であれば、業績が悪化すれば自らの給与も下げるのが当たり前であるところ、そんなことには一切手を付けようとしない、まさに自文化中心主義集団の典型みたいなもので、少なくとも僕には、この国の借金総額を目に見えて減らすか、自分達の給与を民間並みに下げるか、不要なものや部署を整理統合して大幅に削ったりしない限りは、この国の官僚が優秀だなどとは、とてもじゃないけど思えません(笑)
(念のため、誤解の無いように付け加えておくと、無能だというのは国家Ⅰ種や外交官試験を通って予算の配分権や人事権などを持つ官僚のことで、現場で働かれている職員の方や自治体の職員の方の中には、有能な方も数多くいると思います)
そうした官僚社会の中にいて、それで自らの職だけでなく命を懸け、ユダヤ難民のために大量のビザを発給し、多くの命を救ったからこそ、杉原千畝という人物の功績は評価され、今後の歴史においてもその名を残すであろうことになったのだと、僕はそう推測しているし、作品の中でも描かれていたけど、彼が日本の外務省の記録には残されていなかったとしても、ユダヤ人や日本人の記憶に残る人物として、今後もその功績が語り継がれるであろうことは、おそらく疑う余地が無いよね(^-^)
物語の中などで国益という言葉等を使っていたとしても、きっと彼の中には、当時にその言葉が浸透していなかったとしても普遍的人権主義といったような発想があったのではないかと思われるし、世界中で歴史上多くの人から評価されている人物の中には、国家だとか仕事だとかいった建前で誤魔化したりせず、時代や地域を超えて普遍的に存在する人権観念のようなものが見えていたからこそ、その行為が時や地域を超えて評価されているんじゃないかなあと、僕は思ったりするんだよね♪
大体、本当に人のためになるような行為をしている人物というのは、その行為を行う際に、わざわざ人のためだとか、その行為を正当化するために正義という言葉を用いたりするようなことは無いかと・・・・・・なので、裏を返せば、人のためだとか、正義だとか、そうした言葉を用いている人間を、僕はまず信用しません(; ̄ー ̄A アセアセ
その行為が本当に人のためになっているかを判断するのは、行為者自身ではなく、その行為をしてもらった相手方であり、その行為が本当に正しいのかを判断できるのは、行為者や被行為者ではなく、利害関係の無い第三者だけなのだから。


いずれにしても、この映画はテーマが軽いものでは決してないので、「気軽に観に行ってください」とは言えないものの、杉原千畝という人物をはじめとして・・・・・・

イメージ 2

その杉原千畝を取り巻く人達が、第二次世界大戦下という激動の時代の中で、どのように葛藤し、奔走し、生き抜いたかが描かれている作品なので、興味のある方は是非、現在も公開中ですので、劇場へ足を運ばれてみてください\(o⌒∇⌒o)/



※ 余談

今回の上の作品の上映中には、気になってしまったこともいくつかあって、作品の内容に完全にのめり込めなかったりもしたんだよね~(; ̄ー ̄A アセアセ・・・
今回のこの作品の観客層は、僕が観ていた劇場では、結構年配の方が多かったんだけど、マナーがなっていない人も意外といたりしてね( ̄▽ ̄;)アハハ…
今回の僕が観た回はレイトショーだったから、そんなにお客さんは多くなかったんだけど、僕の前に座っていたオッサン・・・・・・空いている劇場の座席指定で、なんで僕よりも後に席をとって、しかも上映開始後に入ってきて、頭をおもいっきり座席からはみ出して観てやがんだよ・・・・・・後から入ってきたなら、少しは配慮を見せてくれよ。
仕方がないから、僕が横の空いていた座席のほうへ移動して観たけどさ(^^;)
また、この作品の上映中には、ちょっとおかしな人も少し離れた所に座っていて、上映中にしばらくずっとブツブツ言ってたんだよね・・・・・・さすがに、それじゃあ集中できないと思っていたら、その近くの席に座っていた人が我慢できずに注意しにいってくれていたけど、しばらく経ったら、また何やらブツブツと言い始めて、僕の前に座っていたオッサンは舌打ちとか始めるし、だったらテメーが注意しに行けよと(苦笑)
そのうち、そのおかしな人は空気を察したのか、上映の途中で席を立ち上がり、スクリーンの端のほうに茶封筒に入った何かを置いていって、スクリーンに向かって敬礼し、退出していったものの、そんなの初めて見たから、茶封筒の中に小型爆弾でも入っていたらどうしよう?なんて、余計な心配をしたりもしてしまったんだけど、結局、上映中に爆発したりするようなものではなかったみたいで(笑)、まあ、杉原千畝に向かって敬礼するくらいだから、そういうことをするような人ではなかったみたいだね。
いずれにしても、劇場で映画を観る際には、お金を払ったんだから何をしても良いという気持ちではなく、周囲の人にも最低限の配慮くらいはして、みんなが気持ち良く映画を鑑賞できたら良いなあと、当たり前のことを改めて感じさせられたりした。


(今回は完全な予約投稿なので、返信や訪問が遅れたら本当に申し訳ありません)