終わりの始まり | 住在横须贺的破坏大帝的随机日记

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さぁて、適当な毎日を過ごしている
ホントど~でもいい感じの日記ですけど、
適当に見て
適当に笑って
適当に頷いてくれれば光栄です。

横須賀に住んでいますが、
正直横須賀のココが良いなんて事はあまり書く事はないでしょう。

まあ、そんなトコです

はっきり言って、何かを始めるのは簡単だ。「よし、やろう!」と思えば始められる。
でも、それを終わらせることはひじょ~に難しい。今回はそんなオハナシを書いていこうと思う。

何かを始めれば、当然生きてる以上、それに関わってくる人たちがいる。例えば会社を始めるのは簡単だ。計画は別にして、ちょっとした資本金さえあれば会社は始められる。けど、倒産など、終わらせなければならない局面もある。その時点でいろんな人の利害が絡んでくる。それがあって、すんなり終わらせることができない局面も多々ある。

人はどうあがいたって独りじゃ生きていけないんだよ
故に終わらせるときも、最大公約数を求めてから終わらせなければならないのだ。


ちょっと前置きが長くなってしまったが、今回は『終わりの始まり』
何を終わらせるかということだが、年内をもって、これを終わりにする。

今年、2024年12月31日をもって、フェイスブックは終わりにする。「もういいだろう」って思った。役目は十分に果たした。
投稿自体は、2024年11月30日を以って終了とする。
半年の期間を設けた、それまでにインスタに移ってほしいと思う次第ではある。後述するが、インスタにおける俺の考え方はまったくもって別ものだからな。フェイスブックとおなしだと思うなよ。


もともとミクシィに変わる何かを探していた矢先にフェイスブックが見つかり、それで始めたんだ。そしてその目的は、昔会ったことがある人たちと繋がることだった。おかげで同窓会にも参加することだってできた。それはすごく感謝してるし、「ネットってすげぇな♫」って思えることだった。

けど時が流れれば考え方も変わる。俺自身が同窓会から出ていった。
出ていったときは2020年だから、その時点でフェイスブックをやめようかなって思ってた。上に書いてたようにフェイスブックを始めた理由は同窓会なのだ。出て行けばその理由はなくなる。まあ理由はいろいろあるし、それだけでひとつ書けるぐらいあるからやめとこう。


ただ、その頃、2020年は代わるものがなかった。だから終わらせることができずにいた。
「どうにかして発信できるものは持ちたい」って思ってた。そこで2022年にインスタグラムを始めた。

不思議だよねぇ。
いろいろきっかけを得ることができたんだよ。自分で言うのも難だけど、やり取りがインターナショナルになったんだよ。今ではDMのやり取りの90%以上が英語だ。だから言葉の勉強をするようになったんだよ。

でもってフェイスブック以上にインスタグラムは『類は友を呼ぶ』システムだ。
俺はギタリストであり、鉄道好きだ。その繋がりを世界中から得ることができたんだよ。おかげでいろいろなことを世界中から学べる。

必要なのは、自分自身の意思をはっきり述べるってことだね。日本語は主語と述語をあいまいにしても伝わるところがあるけど、それじゃダメなんだってのも思い知らされたんだよ。だから外国語の勉強をしてるんだ。


正直言えばフェイスブック以上のコンテンツを手に入れた。つーかフェイスブックを始めた理由が過去の繋がりを復活させるためという理由だったってのがある。
しかしインスタグラムはゼロから始めたものなんだよ。「はじめます」と言っても誰も反応しなかったからね。文字通りゼロから作り始めたんだ。
故に同級生だったとか、一緒に働いてたからってフォローすると思うなよ。インスタにおいては”おもしろいか否か”でしか判断しねぇからな。

もう過去はいいだろう。
せめてね、生きてる以上誰かしらと繋がっているのは必然。だからこの場を借りて『終わりの始まり』を宣言しようって思ったんだ。