沈黙の艦隊 | 住在横须贺的破坏大帝的随机日记

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さぁて、適当な毎日を過ごしている
ホントど~でもいい感じの日記ですけど、
適当に見て
適当に笑って
適当に頷いてくれれば光栄です。

横須賀に住んでいますが、
正直横須賀のココが良いなんて事はあまり書く事はないでしょう。

まあ、そんなトコです

今日は家の近くの映画館でこれを見に行っていた。

『沈黙の艦隊』が映画化されると聞いて、「これはゼッテー見なきゃ!」って思ってた。原作は全部読んでたしね。


そう、原作と出会ったのは33年前、1990年だ。
俺その頃中学2年生
当時通っていた学習塾の先生が、「これはすごくおもしろい!」って言って、俺に『沈黙の艦隊』の3巻を貸してくれたんだよ。1巻や2巻じゃなくて3巻なのがアレだけど、ちょうど“ソ連”のアルファ級潜水艦、”スコーピオン”と闘うとこなんだよね。どっぷりハマって1巻から読むようになる。

原作は7年ちょっと続いてた。80年代終わりから90年代半ばにかけて。『沈黙の艦隊』のおもしろいところは現実世界とそれなりにリンクしているところにある。
そう、80年代終わりから90年代半ばの現実世界を覚えているかい??
上に“ソ連”って書いてるように、まだ連載当初はソ連があったんだよ。東西冷戦の真っ只中だしベルリンの壁もあった。それが連載が進むにつれて現実世界ではベルリンの壁が崩壊、ドイツ統一。さらにソ連崩壊、ロシアへ。
それらがちゃんと組み入れられているから、現実感をもって見ることができたんだよね。ちなみに原作では、90年代半ばにして、ネット世界のことを予言したような形で描かれている。まだインターネットって言葉がなくて、パソコン通信なんて呼ばれていた時代だよ。そういったことがさらに現実感を増してくるよね。


映画もそうだったしね。映画では令和のこの時代に沿った描写になってた。
そこがどうなるのか気になってたんだけど、「今の時代にこういうことが起きたら…」と想像できるレベルになってたよ。

さしずめ、『“令和版”沈黙の艦隊』といったほうが正しいのかもしれない。原作のままやったら時代背景が平成初期になっちゃうし、それは下手したら時代劇のイフにもなってしまう。やっぱり大切なのは現実感だと思う。そこに忠実なのがいい。ネットが当たり前の時代だし、原作では当然なかったスマホだって出てくるよ。
原作ではアメリカ第7艦隊の旗艦は“カール・ビンソン”だけど、映画ではちゃんと“ロナルド・レーガン”になってる。こーゆートコだよね。


実はね、映画館に行ったのってすっげぇ久しぶりなのよ。

「ここでチケット買うんだっけ??」ぐらい。まあちゃんと買えましたけどね。
だいたい俺自身映画には興味がない
「どーせあとでDVDかなんか出るんでしょ、そのとき家で見ればいいや」ぐらいにしか思ってないワケよ。
でもこれだけは別だった、上にも書いたけど、「どーしても見たい!」って思いが俺を映画館に足を運ばせたのだ。
で、原作を思い出しながら映画を見る。「ああ、なるほどねぇ、ここはあの部分か」って思いながら。

映画というか、実写で見ると違うよね。
そういう部分で漫画の実写化やアニメ化って当たりはずれが大きいんだと思うんだけど、これは違和感なかったよ。「今の時代ならこーだな」ってのを実感できるほどに。
最もな例をあげると、“たつなみ”の副長は女性だけど、原作は男性。もっと言えば原作に出てくる女性は海江田の妻のみで、それも最終話の最終ページの最後の1コマにしか出てこないんだから。男性率99.99%だよ、ホント。
ちなみに漫画の実写化やアニメ化で原作を超えてると思うのは“ボボボーボ・ボーボボ”だと思ってる。これだけは、アニメのほうが原作の100倍おもしろい。“亀ラップ”はアニメだからおもしろい。


映画自体は、原作の序盤で終わってる。
原作はここから先が見どころになるから、ショージキ言って続編は是非とも作ってほしい。
原作の話をすれば、“やまと”は東京湾に行って海江田上陸、日本と条約を結ぶし、その後国連総会出席に向けてニューヨークへ行くことになるのだが、なんたって原作が7年ちょっとやってたからねぇ、大長編だよねぇ。4つぐらいに分けてほしい。
アメリカ第3艦隊との死闘の末に通常魚雷を打ち尽くしたあとの駆け引き、“やまと”との条約を内閣の権限のみで結んだことによる解散総選挙、東京湾を脱出する“やまと”を援護する“たつなみ”、北極海でのアメリカとロシアのデタント、アメリカのジャーナリストが“やまと国民”になって創設した“情報国家やまと”とか、書けばキリがない。

ショージキ言って、こーゆーのこそNHKにやってほしいって思う。
大河ドラマクラスの長丁場でやってほしいって思う。時代劇の中途半端な改変のようなのをやるぐらいなら、こーいった現実感のあるものこそやってくれたほうが遥かに意義があるものになると個人的に思うのだがな。

見終わったあと、汐入側から横須賀ベースを撮ったよ。
映画でも出てたけど、自衛隊の潜水艦基地はここだよ。潜水艦だけは、横須賀ベースと共用なんだよ。だからヴェルニー公園に行けば、潜水艦が見れるんだ。

潜水艦を見ながら上に書いたことを思ったんだ。
原作ではACNが“やまと”を情報ネットワークの中に組み込むような形になったけど、同時にこんなことを代表のセシル・デミルは言っていた。
「我々は、世界から最も遠いところにいるのかもしれない」と。
既存のテレビをはじめとしたネットワークが、原作上では90年代半ばにして、オールドメディア化していた。
そして2020年代の今現在、現実世界ではそうなりつつある。某大手芸能事務所の件はトドメにもなるかもしれない。
テレビで育ってきた俺にとってはちょっと、寂しいかな。ネットには絶対できないことをテレビでやってほしいものだよ。人と人とがやり取りする以上、あらゆる忖度や思惑は出てきてしまうから、“情報国家やまと”のような何事にも縛られないメディアターミナルが出てきたらなぁって思う。映画を見て、原作を思い出して、そう思ったよ。


もしも続編が出るのなら、ゼッタイ見たい。そう思わせてくれる作品だった。
よく航海って人生に例えられるよね、原作のタイトルは全部ヴォヤージュだった。
続編を期待しての、ボン・ヴォヤージュってトコか。
お気楽に過ごしながら、続編を気長に待つよ。


おまけ。
家の近くのブックオフでは『沈黙の艦隊』が公開の少し前に単行本や文庫版も含めてなくなってました

こういうコンビニ版すらブックオフにありません。これも映画の影響なのか。