私たちの決意を伝えた朝から病院側の回答を待つ時間が
永遠のように長く感じられました。
相変わらず息子は激しい頭痛を訴え、吐き気もひどくなって
いきました。
「一体いつまで何を協議しているんだ・・・早く痛みをとって
あげて欲しいのに・・・。」
病院側の対応に胸の中でストレスも最高潮になっていました。
何度も何度も今日の担当看護士さんへ
「まだ処置の方向性は出ないのか?」
「彼をこのままにしておいて平気なのか?」
「痛み止めを与えることはできないのか?」とにかく息子を
一刻も早く苦痛から解放してあげたかった。
息子の気を紛らすために深呼吸を何度もさせたり、
日本からの伝統の「元気玉」を注入したり、
絶対よくなるから、よくなったらジャスコに行くことを
おまじないのように唱えてみたりやれることはすべてしました。
この時私達は目の前の現実に親としてできることを最大限に
していただけでしたが、実は病院側では50人ものドクター達が
息子を救うために各々が専門的な知恵を出し合い、
最善の策を協議していたのです。
それは移植チーム、脳神経外科、小児外科、精神科、リハビリ科
などなど錚々たるメンバーだったようです。
午後になって移植チームの数居る担当医の一人が病室を訪れました。
そして小さく息を吸ってこう切り出しました。
「息子さんのことは我々もとても心配しています。」
「私たちは各専門医と話し合って彼を手術することに決めました。
しかし、問題が2つあります。一つは東洋紡(補助人工心臓のことを
アメリカの医師はこう呼びます)を装着しているために彼には現在
大量のヘパリンやクマデン(抗血液凝固剤・血液をサラサラにする)
を使用しています。頭の手術をすれば大量に出血する。
ヘパリンの影響で出血が止まりにくくなるだろう。
輸血ももちろんしますが、そこが難点であること。」
担当医は外人特有のオーバーリアクション付きでなおも続けました。
「そしてもう一つはおそらくヘパリンを一時的に完全に止めなければ
止血しないであろう。そうすることで東洋紡に血栓(血の塊)ができて
しまい、万が一それらが飛んでしまい、飛びどころが頭などであった
場合、血管が詰まってそれこそ大変なことに成りかねない・・・。
ご両親にはその2つのリスクを冒して彼を移植登録リストに再度
載せることを理解してもらいたい・・・。手術は17時から行う予定です。」
と言われました。
それはまるで「今の彼にはそれしか方法がありません。だから
一か八かだけどどうしますか?やりますか?」
と宣告されているようにもとれました。
ここまで来て後には引けない。
「OK。アイ、アンダースタンド。」
力強くペンを握りサインをしました。
「これで何度目のサインだろう。
このたびに息子の生死をオレが決めているようだ。」
誰にも気づかれないように祈りを込めて
最終記入欄に「Father」と書きました。
私達にはすべてを信じて前に進む選択しかありませんでした。
担当医が「OK、それでは手術の準備を進めます。彼に幸運を。」
みたいなこと言って病室を去った後、息子に手術をすることを
話しました。
「由宇人、頭痛いのを治すための手術をすることになったからね。
大丈夫だから、きっと治るから。がんばっぺし。」
息子は痛いのは嫌だと訴えましたが、その他に
「喉が渇いた!サイダーが飲みたい!」など純粋な欲求も訴え
ていたため、「この状況でサイダーが飲みたいって・・・
案外、逞しいかも。」と逆に励まされました。
そして術前の絶飲絶食の時間帯が来ると余計に
「パパァ!、サイダー飲ませろ!」
「早く飲みたい!」などとストレスはエスカレートしました。
なんとかかんとか気をそらしながら、いよいよ手術室へ向かう
時間が訪れました。
PICUから手術室へ向かう途中で自分に気合を入れました。
息子が手術室でスタンバイをしている間に執刀医のアンダーソン
医師から説明を受けました。
長身で見るからにすごく優しそうな先生でなんとなく
「この先生は信頼できるかも。」と思いました。
「ハーイ。執刀医のアンダーソンです。ナイストゥーミーーチュー。
このたびは息子さんが大変なことになってしまい、心配されて
いると思います。息子さんの頭のCTはこちらです。
脳髄というのは通常は頭のセンターにあるのですが、今の
息子さんはここまでズレてしまっています・・・・。そのために
出血の圧力によって激しい頭痛を起こしてしまっています。
今回はこの血液を吸い取る手術です。普通の硬膜外出血で
あればそう難しい手術ではないのですが東洋紡がついている
ためにかなりの調整を要する手術となるでしょうが
精一杯、彼を救うために善処します。」
と人のよさそうなドクターは親身になって丁寧に説明してくれました。
CTを見た私たちは脳髄の位置のズレの差に愕然としました。
「こんなに左にズレているなんて・・・。」
出血の範囲も確実に広がっている。
一刻も早い手術が必要なことが理解できました。
すべてをドクターアンダーソンに預けて息子の待つ手術室へ
向かいました。
麻酔医が眠るまで手を握ったりしていいですよ。
と言ってくれたので妻と2人で手を握って話しかけました。
「由宇人は強いから大丈夫だよ。パパもママも待ってるからね、
必ず戻ってこいよ!わかったかい?」
薄れゆく意識の中でも小さくうなずいてくれました。
そして眠る寸前に麻酔医が「キスを。」と言いました。
日本にはない文化でしたが、おでこに成功の願いをこめて
キスをして、殺伐とした手術部屋を後にしました。
病室へ戻ると、息子が拡張型心筋症になってしまった日の
夜のごとく祈りました。
時間が逆戻りしたような、目の前が真っ白になり後頭部を
ハンマーで殴りつけられたような痛みを2度も経験するなんて。
自分のこれから起こる幸運をすべて使い切ってもいいから
由宇人を助けて欲しい・・・。
じいちゃん、ばあちゃん頼む、ひ孫に力貸してやってくれ。
なぜか死んだじいちゃんとばあちゃんにお願いしていました。
そして6時間後の夜10時過ぎ・・・・息子は無事手術を成功させて
戻ってきました。
その姿は勇敢に闘った男の姿にも見えましたが、5歳にして
なぜこのような試練ばかりをいただくのか。
無性に悔しくてせつなくて容易に受け入れがたいものでした。
「由宇人ぉ・・、よくがんばったな・・・。」
トップクラスの先生だったのです。

