回想~2010年 8月末 不穏な違和感 | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

マンハッタンのコロンビア大学病院へ入院してから5日が

経っても息子は外人さんスタッフに慣れず回診の時は

意地を張っても笑顔を見せることはありませんでした。

ドクターが「Smile~」と話しかけてもムスッとして

心を開こうとしませんでした。


私たちはアメリカへ渡り入院さえすえば何とか乗り越えて

いけるだろうという未来予想図があったためにこの息子の

徹底したアメリカ嫌いには正直まいってしまいました。


最初のは3~4日は仕方ないなと様子を見ていましたが

外国人ドクターや看護士が処置やケアをするたびに拒否をし、

困らせるばかりで一向に改善する兆しは見えませんでた。


私は「由宇人!せっかく日本のみんなが由宇人を助けたいって

気持ちで募金をしてくれてアメリカまで来させてもらったのに

おまえがそんな態度では募金してくれた人たちに失礼だよ!

外人さんだって見た目は日本人と違うけどおまえを助けるために

みんな一所懸命治療してくれているのだから、ちゃんとしなさい!」

(そんなようなことを言った記憶があります)

ついに息子を叱ってしまいました。


息子はいつもなら「はい。わかっりました」とかなんとか言うのですが

よっぽど外人さんが嫌だったのか、「パパはボクの気持ちなんか

わかるもんか!」という目で私を見つめていました。


怒ってはいけない。そう心の中ではわかっていました。

でも甘やかしてもいけない。

私たちは必ず息子を元気にして帰国しなければならない。

そういう絶対的な使命感に縛られていました。


今想えばほんの5歳の子供が心臓の病気で補助人工心臓を装着して

言われるがままアメリカへ渡航して新しい心臓をいただくという

スケール感を理解することは難しいことだし、彼はその場その場の

感性で素直に感情を表現しているだけだったのだと思います。


理解させたい側とする側のギャップが大きかったのでしょう。


息子はコロンビア大学病院の医師団の診察を拒むだけでなく

日本の病院のように安住感がないストレスから食事もあまり摂らなくなりました。


その結果、毎日何度も行われる採血結果からさまざまな栄養素が

不足していることがわかり、それらを補充するドリンク剤を飲むことを

強制されました。


簡単に言えばチョコシェイクみたいなフレーバーの栄養補助ドリンク。

そんなにまずくもないけど食感がバリウムみたいな感じ?

栄養不足は心臓以外の臓器にも悪影響を及ぼすので何とか摂取して

もらいたい。


息子に言いました。「ごはんあんまり食べないから力がなくなっているんだって。

このジュースを飲むと元気がでてくるんだってよ。さぁ飲もうぜ。」


一口ゴクリ。

すぐに苦い顔をしてそれ以降二度と口をつけなかった・・・。

おーーーい。頼むよ。飲んでよ。

また途方に暮れてしまいた。


病院食はこれ本当にキッズミールかよっ!と思うような献立と

ボリューム。

ほとんど私が食べてました。

あんまり美味しいものではありませんでしたけどね。


結局、外出して近くのスーパーで息子の好きそうなパンや

果物を買って来て食べさせました。


それにしてもアメリカに来てから「よく寝るな」といつもと違う違和感を

感じていました。

疲労がなかなか抜けないところに外人さんによるカルチャーショック

が重なり本人はかなりしんどかったのだと思います。


それでもこの時、私は2週間もすれば慣れるだろう・・・時間の問題かな

と考えていました。


そしてアメリカに来てから9月を迎えた良く晴れた2日後のこと、

私達家族にとって最大の危機が訪れてしまうのです。


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このボリューム。子供が食べる量じゃないよね。


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「ペディシュア」アメリカでは有名な栄養補助ドリンク

なんですってよ奥さん。


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   寝てばかりいることが心配だった