季節は3月も後半になり、
少しずつ春めいた陽気の日も多くなっていました。
いつもどおり息子のいない大部屋の病室で
妻と面会時間になるまで待機していました。
LVADを装着してからは日々、息子が目覚めた跡の
シュミレーションを先生と話し合っていました。
目覚めた時に一時的に自分の状態に驚き、
パニックになる可能性があること。
しばらくはICUから出られないため、
妻がICUへ寝泊りすることになるだろうということ
(本来はICUへは泊まることはできません)
ポンプ内の血栓の確認の仕方。感染症にならない
ように注意すべきこと。LVADを持ち上げすぎずに
オムツを交換すること。拡張不全時にポンプの
圧の数字を変更すること。食事制限などなど・・・。
私たちは初めてのことだらけで困惑しながらも
なんとか覚えていきました。
そして・・・・ついに・・・・・
「ゆうちゃんが目を覚ましましたよ。
ICUへ行ってあげてください!」といつもお世話になっ
ている看護師さんがうれしそうに報告しに来ました。
私と妻は「やっと由宇人に会える!」という喜びの
表情を浮かべ早足で病室へ向かいました。
ICU独特の高価そうな大きなベッドに近づくと紛れも
なく息子は目を開けていました。
「由宇人ぉ、おはよう。久しぶり。よくがんばったね。
パパとママだよ。わかるぅ?」46日ぶりの再会に
自然と涙がこぼれました。
息子はぼぉーとしていて目の焦点が定まらず、まだ
状況を理解できていない様子でした。
時折身体をもぞもぞ動かして苦痛の表情をしました。
ずっと麻酔で寝たきりだったため身体が思うように
動かないこともすぐにわかりました。
主治医の先生は「おそらく強い麻酔が完全に抜け切
るまではぼぉーとした感じは続くでしょう。
しかし、安定作用のある弱めの麻酔は引き続き
継続していきます。完全に覚醒するまでは3~4日
くらいではないかと思います。とにかくたくさん話かけ
てあげてください。そうすればだんだん思い出して
くると思います。」というようなことを言っていました。
そうか、たしかにかなり強力な麻酔を使用していた
のでこの状況は想定内なのだろう。
3,4日後には意思の疎通がとれるのだな。と内心喜び
でいっぱいでした。
ところが目覚めてから2日目、3日目、4日目と経過し
て行きましたが息子の様子は一向に進展がなく、
目覚めてはいるものの目線は天井の一点を見つめ、
ぼぉーとしていて目玉の動作である追視をすることは
ほとんどありませんでした。さすがに心配になり、
「先生、こちらの問いかけに反応がないこの状態は
どうなんでしょう?なぜ覚醒しないのでしょう?通常
麻酔が切れるまで小児の場合、時間がかかるので
しょうか?」と捲くし立てるように伺いました。
先生は首を捻りながら「う~ん、正直なぜだかはわか
りません。なぜ覚醒しないのだろう。脳の方は大丈夫
だと思いますが念のためCTを撮り検査しましょう。」
という方法をとることを指示しました。
まさか!脳の異常!?私たちはまた青ざめました。
しかし、検査結果は若干の萎縮は見られたが特に
問題はない。というものでした。その後コロンビア大学
と連携をとり、LVADの駆動圧の数値を変更したり、
麻酔を覚ます薬を注入したり、好きな音楽を聞かせた
り、話しかけ続けたりしましたが好転せず1週間が
経過しました・・・・。
そんなある日、妻方の母の友人がお見舞いに息子
の大好きなウルトラマンの図鑑をプレゼントしてくれ
ました。私はいつものように「由宇人!今日はおば
あちゃんのお友達が由宇人のためにウルトラマン
の本を買って来てくれたよ!見たいかな?ジャン
ジャジャーン!」とおどけて本を見せました。
すると!息子の表情と目が一瞬にして普通に蘇った
のです。焦点は明らかにウルトラマンの本を捉えて
いて、私が本を左右に動かすと黒目もきちんと本を
追視しました。この様子を見ていた先生方も
「おっ!やっと覚醒したな!」と大歓びでした。
さらに「由宇人、これ見たいの?」と聞くとかすか
に首を立てに動かし「うん」という意思表示をしました。
「おーーーーっわかるのか!由宇人!よかったぁ
よし、パパが全ページ読んでやる!」
私も妻も一安心しました。
この日からパパとママの認識もより確認で
きるようになり、意識はより明確に覚醒へと向かいました。
しかし、」ほっとしたのもつかの間で
この次は身体が指1本も動かせない・・・という
もうひとつのハードルを乗り越えていくことになるのです。
覚醒して間もない頃

人工呼吸器も抜管し表情も普通になって来た頃