いつもでしたら、
ゆいとパパのお話しになるのですが、
今日はわたしと父との関係についてお話を。
特にこの記事は、
何か気付いたらいいよ、とか意識して書いていません。
わたし自身の感情解放のために書いているものです。
産まれてすぐ
乳糖不耐症で、母乳が合わなかったので、下痢ばかり繰り返していたそうです。
最初、原因が分からずガリガリになっていくわたしに
母がとても心配し、診断してもらってからわかるのですが、
それ以降は豆由来のミルクで育てられました。
その後も体調不良があり、
ずっと繰り返す風邪のような症状に
「小児ぜんそく」と病名がつけられました。
喘息の症状はどんどんきつくなり
母親はわたしに拘束されました。
長期で入院を余儀なくされたりしていたわけですが
遠くのこども病院まで、一日おきペースで来ていた母も
毎回大変だったようです。
さて、うちの父ですが、
昭和の男性像にもれなくあてはまるタイプに加え、
とにかくワンマン。
たたいて躾けるタイプでした。
父親が「しろ」と言って、出来なかったり
忘れていたり、ふざけたりすると
「叩かんとわからんようやな」とニラミを聞かされるのは普通でした。
ちなみにわたしは叩かれたことがありません。
ずっと発作が出ていたり、ガリガリだったこともあるのですが
とにかく、父の目に触れないように生活をしていたこともあり
手を出されることはありませんでした。
(わたしには言葉の攻撃の方がしやすかったようです。)
父は、とてもヘビースモーカーだったので
病院からも、
また、母が躍起に連れて行ってくれた自然療法的なクリニックでも
「ご家族に喫煙者の方がいるとよくなりません」
と幾度となく言われていましたが
父は無関心でした。
「おぃ、(たばこ)吸うぞ」と言われれば、
わたしがすぐ別のところに移動しないといけませんでしたし
常にわたしの居る場所がなかったので、
いつもどこかスペースをみつけて
息をひそめて生きていました。
よく姉と母はぶたれていました。
理数系が得意な父は
たまに宿題をみてやるといって
姉の勉強を強制的にみて、
計算があってなかったり、言った通りにできないと
よく姉を叩いていました。
わたしに拘束されていた母は
俗にいう「片づけられない女」でした。
夜、わたしの発作で眠れないので
結局家事がおざなりになるのですね。
その状態に、父がよく激怒して
最終的には殴ったりけったりしていました。
何回か
「やめて」と父に懇願しましたが
わたしが声をかけると
火に油を注いで、さらに母が殴られていました。
なので、
早く終わってほしいと
見えないところで祈るだけでした。
そんな感じの家庭環境でしたが、
必要な入院、薬代、また教育もしてもらえました。
社会に出てから
人間関係、人生に困難を感じて模索している中で出会った
キネシオロジーですが
色々な角度で家族関係を見つめなおす機会となりました。
30代半ばで結婚し、
数年したときに、ふとわたしにずっとくっついている何かの気配を感じ
(いまの結ですが、本人は覚えていないそうで)
念のため産婦人科で検査をお願いしたところ
卵巣のう胞
が発見されました。
自然療法に気持ちが傾いていたわたしは
なんとしても手術なしで
治癒させたいと意固地になって、
治療のタイミングを遅らせてしまうのですが
(これは人それぞれの考えですので)
妊娠する意思があるのなら先に手術をしておかないと
妊娠してからは、卵管が捻転する危険性もある。
妊娠後期に捻転をすると、母子ともに危険だ、
と医師から言われ
どうしようか、と思ううちに経過をみつつ1年以上経ちました。
手術に踏み切れない時
この症状の原因をキネシオロジーでみていく場面がきました。
対象は父でした。
わたしから出てきた言葉は
「父に、孫なんか抱かせてやるものか」
でした。
わたしの子どもを抱かせるのも嫌だし
父を喜ばすことは一切したくないと思っていました。
孫を抱いて、かわいがる父の姿を想像するだけで
吐き気がしましたし、
自分や母姉にしてきたことがうやむやに
帳消しになるような気もしました。
うん、まぁ恨みつらみはわかるけどさぁ、
これって誰の身体なん?
って自分に問いかけると
自分の身体を痛めつけているのは
まぎれもなく自分自身なんですねー
身体をはって、
父を喜ばさないようにしているわたし(笑)
わたし
バカだ
ということに気付きまして
よし
もうさっさと手術しよう
と切り替わりました。
手術はたしか4~5か月待ち?くらいだったかな。
発見から2年近く経っていたように思います。
腹腔鏡手術でしたので、体力も思っていたより回復早く
手術中に卵管がきれいになったことで
通りがよくなり、
それから数か月後に妊娠しました。
わたしはわたしの事が一番大事です。
慢性的な症状は
心理的な要因が絡んでいることが多いですが
自分のココロのクセもあり、
自分以外の誰かのために(わたしの場合、父)
自分の身を挺していることもあるのですね。
「父のせいで〇〇できないわたし」で
ずっと成功していた、という言い方もできますね。
やーめた。です。
特にこの記事は、
何か気付いたらいいよ、とか意識して書いていません。
わたし自身のために書いているものです。