私たちは「縁」によって、くっついたり離れたりしています。
こういう「すべては縁」というのは日本独特の感覚で、
目に見えない、とても大切にされるもの。
「縁」の意味は、、
仏教で「因縁」という考え方があります。
種を撒いても、必ず花が咲くわけではない。実が成るわけではない。
そこに、「縁」がなくてはならない。
縁があることで、花が咲き、実がなる。
例えば、
朝顔でも、ひまわりでも、トマトでも、何かの種があります。
種があるだけでは咲かず、土に入れてあげなければならない、それが、縁。
周囲の環境、湿度、温度、そういう条件が揃って(縁があって)
やっと花が咲きます。
「因」は様々な「縁」が揃った時に「果」になるのです。
人間に例えると、周囲の環境(人・置かれた場所)、自身の心、身体、エネルギー状態などが関係しています。
どんなに夢があっても、どんなに叶えたいことがあっても
「縁」がなければそれは叶わないのです。
よく、置かれた場所で咲きなさい、との言葉がありますが、
「目の前のことを一生懸命取り組みなさい」という意味だと思います。
何をするにしても、どこに行っても、今を集中して生き切るのは大事なことです。
「縁」がある人は、どうやっても繋がるし、
「縁」がない人は、どうやっても分かり合えない。
また、タイミングがずれているだけというのもあります。
今は、その時ではない。時が来れば、また繋がる縁もあります。
自分はどんな人生を送りたいか、すべてはそこからです。
何かをやろうと決めた時、不思議と情報は集まってきます。
運んでくれるのは、「人とのご縁」です。
「袖振り合うも他生(多生)の縁」という言葉があります。
道を行く時、見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも、前世からの因縁によるもの。
どんな小さな事、ちょっとした人との交渉も偶然に起こるのではなく、
すべて深い宿縁によって起こるのだということ。
そう考えたら、一人ひとりのご縁が、本当に掛け替えなのない奇跡と感じます。
余談ですが、着付けの免許を取った時、
日本のことわざは着物が発祥となっているものが多いと教えていただきました。
みんな、自分の人生の主役を生きていて、
みんな、誰かの人生の脇役です。
誰1人欠けても、人生のドラマは成り立ちません。
舞台役者の縁を繋げて、花を咲かせる旅に出ましょう。
今世の種が、大輪の花、立派な実を咲かせる壮大な旅。
3年後かもしれない、10年後かもしれない、30年後かもしれない。
諦めなければ、必ず花は開きます
我が家のスパティフィラムさん。
電磁波を吸収してくれる観葉植物とのことで、3年前に購入しました。
購入したときは白い花が咲いていましたが、萎んだあとは葉っぱだけ。
ようやく、2年越しに、白い花が咲きました。
嬉しくて、嬉しくて。これが、我が家のスパティフィラムの咲くタイミング。
みんな同じはありません。子育ても、庭に植えた種も、焦らずに育てていきましょう。
あなたの花を、あなたを、待っている人が、必ずいます。
ご縁あり、私のブログをお読み頂いたことに
心より感謝申し上げます。ありがとうございます。
そして、みなさまにも素敵なご縁がたくさんありますように。