愛するケイスケがお空に帰ってしまってから
ずっと胸がシクシクと痛い感じは続いている
喪失感はまだまだ どーんと居座っている
もうこの手で触れない
抱きしめる事も出来ない
そこに居てくれているだけで 目線を届かせる事が出来るだけで 天にも昇るような幸福を日常で味わっていたというのに
いや、どうかな??
生きている時は当たり前過ぎて
その素晴らしい時間をおざなりにしていた事もあったんじゃないか??
なんて勿体無い事をしていたんだろう!!
この切ない後悔って、なんか覚えがあるな。。?
と昨日ふと気付いた
夏祭りの お囃子の音が聞こえた時
小学生だった長男が、目をキラキラさせながら
可愛く楽しそうに会場に向かってたな とか
道端の自販機の前を通った時
少年野球の練習後に必ず次男がここでココアをねだってたな とか
たまに思い出す事がこれまでもあった
まだ小さくて、親と一緒に暮らしているのが当たり前で、100%私を頼って甘えてくれていた頃の
あのとてつもなく愛しい存在は
もう私の前に居ないし
二度とあの時の彼らを抱きしめる事も
あの時の寝顔を見つめる事も出来ない
その事に、時々無性に切なく寂しくなる
もう会えないんだなあって
今の彼らはお祭りであんなに喜ばないし
ココアよりビールが好きなのだ
だからもう、今の彼らは彼らであって彼らではないのだ(ややこしい)
ケイスケと違って
息子達は姿形を大きく変容させて この世に逞しく存在している
姿形は変容したけど、魂レベルの本質は変わっていないはず
他人になった訳ではないし、私への愛情が無くなった訳ではない(はずw)(そう思いたいw)
そうか、ケイスケは姿はここに無くなってしまったけども
「天使」に変容したんだ
肉体が限界だっただけなんだ
そーゆーことかーー!!!!
何かで見聞きした事 思い出した
「卒業しただけなんです」と
肉体のある物質界からの卒業って事ね
確かに卒業式って切ないもんね
泣いちゃう事もあるもんね
小さかった息子達には二度と会えないけど
大きくなった息子達は居る 消えてはいない
それと同じで
ケイスケも居るんだ 消えてはいない
ただ肉体がここに無いだけなんだ
そーーゆーーーことかーーー(2回目)
だから
寂しい事には変わりはない
でも悲しい事ではない
なんだね!!!
一生の宝物 ケイスケ
写真を見るだけで、お腹のモフモフの感触や香りを思い出せるよ。。。